悪い部分に早く気付けたから良かったものの、
検診はちゃんとやっておかないとダメだわって反省した。
こればっかりは年齢関係なくやっておくのが大事。
長生きしたいなら尚更の事ッスな。
病院に行って定期検診を受けようね!みたいな通知が来ても
「自分に限って、そんな病気にかかるハズがないぜ!」とか
「何もないから大丈夫」とか「自分は至って健康体だ」とか
お前、その自信どっからきてんの?…くらいに高を括って、
余裕でスルーしまくってたらこのザマですよ。
冗談半分、本気半分のお医者さんに少し怒られました。
お医者さん:「僕に言わせればそういう人はね…
死ぬまで一生思っていれば?って感じなんだよね」
SERUNA:「スイマセン… (´・ω・`)」
多分、入院は一週間ぐらいかかるかも。
岡山旅の記事はまだ途中だけど、退院したら続きを載せます。
iPadの持ち込みをしているので何らかの更新はする予定。
病院にいる間は、コメントへのお返事がいつもより少しばかり
遅くなると思いますが必ず書きますので、茶でも啜りながら
ゆっくりお待ちください。
そんなわけでみんな!
自分だけは絶対に大丈夫と思っていても、
検診だけはしっかり受けておこうね!
【プチ呟き】
40過ぎると必ずどこか体に出るって本当なんだな…
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「天満宮」。


稲荷神社へ。


お稲荷さんに辿り着くまでの道に温羅神社があります。
御祭神は「温羅の和魂」。


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童話桃太郎では吉備津彦命と戦った温羅は鬼とされて
いますが、吉備の国に様々な文化をもたらし「吉備の冠者」
の名を吉備津彦命に献上したとされる温羅の和やかな
御魂をお祀りしています。
-------------(吉備津彦神社 公式サイトより)
続いて三つの末社。
温羅神社の隣に鎮座するのは「十柱神社」。
(御祭神:吉備海部直祖、山田日芸丸、和田叔奈麿 、
針間字自可直、夜目山主、栗坂富玉臣、忍海直祖、
片岡健命、八枝麿、夜目)

その隣に「牛馬神社」(御祭神は保食神)。

さらにその隣には「祖霊社」。
(御祭神は吉備津彦神社社家の祖霊)

稲荷神社への参道。


「稲荷神社」(御祭神は倉稲魂命)。

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五穀豊穣、商売繁盛、諸業繁栄、生産の神であり、
当地方で最も古く稲荷の神を祀った社といわれています。
-------------(吉備津彦神社 公式サイトより)
お稲荷さんの場所から下ったところに「卜方神社」。
(御祭神は輝武命、火星照命)

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池田信輝公と池田輝政公の霊神がお祀りされています。
-------------(吉備津彦神社 公式サイトより)
吉備津彦神社から少し外れた場所にこんな所が。

【藤原成親供養塔】

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この五輪塔は、鹿ケ谷事件で平清盛に捕らえられ、備前と
備中の境にある有木の別所で処刑された大納言藤原成親
(1138~1177年)の供養塔と伝えられています。
宝珠と請花が失われているため、代わりに小さな石塔の笠
が載せられた花崗岩製の高さ102cmの五輪塔です。
古い記録では、有木山にあったものをこの場所に移したと
伝えていますが、塔の様式は南北朝から室町初期のものと
考えられ、成親が処刑された平安末期のものではありません。
成親は、この地で無念の最後を遂げますが、この事件が
平家打倒運動の大きなうねりの第一歩となり、栄華を誇った
平家一門は滅亡への道を歩みはじめることとなります。
福田海の入口より500mほど南に登ったところに藤原成親
遺跡(県指定史跡)があります。
---------------------(案内板より)
供養塔の下は古墳の石室になっています。

【藤原成親供養塔下古墳】

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この古墳は6世紀頃の古墳時代後期に造られた横穴式石室と
考えられています。遺骸を安置する玄室と、外部につながる
通路である羨道からなり、石室内への出入りが容易で追葬に
適した構造です。
横穴式石室は、4世紀後葉の玄界灘沿岸で造られて以降、
5世紀には九州以外の西日本でも散発的に造られ、
6世紀後葉から7世紀初頭にかけては爆発的に造られました。
7世紀に入ると精微な切石石室も現れますが、多くは小型・
石槨化(石棺を納める石室の室)し、群集墳の終焉とともに
消滅しました。
---------------------(案内板より)
「忠魂碑」。
片隅にひっそり佇んでいました。

【おまけ】
吉備津彦神社の駐車場片隅にあった桃太郎の像。
手作り感満載で、特にお供の犬と猿とキジの顔が最高すぎるw
脱力系というか何というか、ゆるくてジワジワとくる感じが
これまたたまらなくいい。



これを製作したのは「中山森造」というセメント像作家。
(作られた人は残念ながら、2005年に亡くなられている)
平成元年製作で、奉納されたのはその九年後らしい。
桃太郎の足にそのかたの名前などが刻まれているようです。
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絵馬とおみくじ。

「古代御社図」。
すいません、この小さい写真ではわかりませんね。
ググればもっと大きな写真で載せている人がいると思うので、
興味がある人は各自で調べてみてください。

奥から「御本殿」→「渡殿」→「拝殿」。
向かって左から見た写真と、右から見た写真。


吉備津彦神社「御本殿」。
向かって左から見た写真と、右から見た写真。


ちなみに吉備津彦神社の御祭神「大吉備津日子命」は、
古事記での正式名は「比古伊佐勢理毘古命」。
日本書紀では「彦五十狭芹彦命」で別名「吉備津彦命」。
吉備津彦命は桃太郎のモデルとなった皇族です。

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岡山県指定重要文化財 吉備津彦神社本殿
昭和43年4月19日指定
この神社は、社名のとおり吉備津彦命を祭神とし、古くから
備前国の一宮として崇敬を集めてきました。十六世紀後半に、
金川城主松平氏に迫害され、社殿は焼き払われましたが、
元禄十年(1697)に再建されました。
しかし昭和五年、本殿・隋神門・宝物殿を残して焼失し、
現在の拝殿は、昭和十一年に建てられたものです。
「本殿」は桁行三間・梁間二間・屋根は、流造り・檜皮葺の
流麗な建築です。元禄時代の建立で、県指定重要文化財と
なっています。
このほか、「子安神社社殿」(市指定重要文化財)、
「神事絵巻」(県指定重要文化財)や、毎年八月に行われる
「御田植祭」(県指定重要無形民族文化財)等が貴重な文化財
として広く知られています。
-------------(吉備津彦神社 境内案内板より)
本殿向かって左手側に祀られる「楽御崎神社」と、
(御祭神は楽々与里彦命、楽々森彦命)
石の祠は「岩山神社」(御祭神は建日方別命)。

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⦅楽御崎神社⦆
本殿の両脇に本殿に向かって配祀されており、
吉備津彦命が吉備の国を平定する時に活躍された従者が
お祀りされています。
⦅岩山神社⦆
伊邪那岐命・伊邪那美命の御子で中山主神とも称します。
-------------(吉備津彦神社 公式サイトより)
本殿向かって右手側にある「楽御崎神社」。
先ほどの楽御崎神社と同じ神様がお祀りされています。

本殿向かって右手側の奥には「尺御崎神社」。
(御祭神は夜目麻呂命、夜目山主命)

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⦅尺御崎神社⦆
吉備津彦命の従者がお祀りされていて楽御崎の2社と共に
本殿を守るように配祀されています。 あたかも桃太郎さんと
共に鬼退治をした猿、雉、犬たちが、今でもお仕えしている
かのようです。
-------------(吉備津彦神社 公式サイトより)
続いて「子安神社」。
御祭神は伊邪那岐命、伊邪那美命、木花佐久夜姫命、玉依姫命。


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岡山県指定重要文化財 子安神社社殿
昭和49年4月11日指定
子安神社は、吉備津彦神社の摂社であり、元禄十年(1697)
に再建された現在の吉備津彦神社本殿よりも、古い建物である。
「吉備津彦神社社記」などによれば、晩年の池田光政は健康が
すぐれず、その健康祈願のため、娘の六姫が発願し、光政の
生母福照院の手によって、寛文十二年(1672)7月備前一宮の
境内に建立された。
本殿は、桁行一間、梁間一間、檜皮葺で流造りの屋根の前後
に延びたゆるみない曲線、五七桐や蟇股の形状、高欄柱や
擬宝珠の姿などに、なお桃山朝の様式を残している。
外装に丹や胡粉を塗るなど、全体を華麗な社殿に仕上げている。
拝殿は、桁行三間、梁間二間、、入母屋造り銅板葺の建物で、
正面には「子安宮」と金文字で書いた神号額が掲げられている。
-------------(吉備津彦神社 境内案内板より)

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摂社の子安神社は古来、縁結び、子授け、安産、育児の神様
として広く世に知られ全国から熱心なお参りがあります。
慶長年間、岡山藩備前監国の池田利隆公が子宝に恵まれ
なかった際、祈願後たちまち名君と仰がれた光政公の誕生をみ
たことは有名な話です。又、子安神社の脇に自生する蕨を
夫婦で食べると懐妊するという伝承があり、今でも御参拝の
夫婦より「子宝に恵まれました!」という喜びの声を聞きます。
※ 蕨(ワラビ)をいただく前後は神様にお願いと感謝を忘れず
に申し上げ、欲張らず他人の幸せと来年の生息本数を考えて
数本食べるだけを頂きましょう!
-------------(吉備津彦神社 公式サイトより)
子安神社北側(すぐ隣)の七つの末社。
手前から「下宮」(倭比賣命)、「伊勢宮」(天照大神)、
「幸神社」(猿田彦命)、「鯉喰神社」(楽々森彦命荒魂)、
「矢喰神社」(吉備津彦命御矢)、
「坂樹神社」(句句廼馳神)、「祓神社」(祓戸神)。

こちらは祓神社から撮影したもの。

★その3に続く!
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