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定食屋さんに訪れるような感覚で見て戴けたら嬉しいです。中身は趣味のネタ色々、たまに飯テロ。ヲタクなネタから神社めぐりまで。お好きな記事をブログカテゴリからお選び下さい。
2019年11月28日 (木) | 編集 |
検索でいきなりこの記事に辿り着いた人はその1からどうぞ。
http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-2999.html

境内をのんびり見ていたら、
白猫さんがポツンと椅子に座っていることに気付く。

20190528_吉備津神社の猫_001

─こんにちはネコさん。
白猫:「ん?おまいりにきたのかニャ?」

20190528_kibitsu_cat_002.jpg

白猫:「オマエたち、おみくじはひいたか?」
─ううん、まだひいていないよ。

20190528_kibitsu_cat_003.jpg

白猫:「ここのおみくじは色々あるからオススメにゃ」
─あっ、本当だ!子供みくじ…よろこびみくじ…はなみくじ…
英語みくじ…いにしえみくじ。いっぱいあるね。

20190528_kibitsu_cat_004.jpg

白猫:「カミサマにどんなネガイゴトするのニャ?」
─特にないよ。みんなが幸せになってくれればいいからさ。

20190528_kibitsu_cat_005.jpg

白猫:「………へんニャの」
─えっ、なんで?どうして?
白猫:「欲にまみれたニンゲンばかりじゃニャいんだな」
─本当は欲はあるよ。むしろ欲まみれだよw
でも自分のことは後回しでいいし。

20190528_kibitsu_cat_006.jpg

白猫:「いつかオマエにもしあわせがくるといいニャー」
─いつも平穏無事ならそれでいいよ。

20190528_kibitsu_cat_007.jpg

白猫:「かわりにココからカミサマにねがってあげるニャ」
─優しいネコさん。

20190528_kibitsu_cat_008.jpg

白猫:「ゆっくりしていくと良いニャ」
─ありがとう。

20190528_kibitsu_cat_009.jpg

あまりネコっぽくない顔をしたブサカワな子でした。
この子、吉備津神社で飼われているのかなぁ?
神社の人にこのネコさんの名前を聞こうと思っていたのに、
すっかり忘れていました。

★神社の記事その2に続く!
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2019年11月28日 (木) | 編集 |
2019.5.28 参拝 
『吉備津神社』にやって参りました。
下の写真は駐車場から神社の方向を写したもの。
屋根がちょこっと見えますね。

20190528_吉備津神社_001

手水舎と神社周辺マップ。

20190528_吉備津神社_002

20190528_吉備津神社_003

「犬養毅の銅像」
なぜココに犬飼さんの像があるかというと…

20190528_吉備津神社_004

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犬養木堂先生 銅像の説明 
 犬養毅(木堂と号す)は安政二年(1855年)に備中国賀陽郡
庭瀬村(現在、岡山市川入)に犬養源左衛門の二子として生る。
明治八年(二十一才)上京し慶應義塾に学ぶ。
明治十年(二十三才)西南戦争起るや従軍記者となったが、
その後、文筆と雄弁をもって政治運動に入り、明治二十三年
(三十六才)衆議院議員となる。明治三十一年(四十四才)
文部大臣に任ぜらる。その後、立憲国民党、革新倶楽部等を
組織し、「憲政の神」と称せらる。
大正十三年(七十才)逓信大臣、昭和四年(七十五才)政友会
総裁となり昭和六年総理大臣となる。しかるに、翌昭和七年
(1932年)いわゆる五・一五事件勃発し過激派のために
官邸にて暗殺さる。享年七十八才、正二位・旭日桐花大綬章を
追贈せらる。
 毅の生家(此処より南方へ約三キロに現存)は代々庭瀬藩の
大庄屋、その遠祖犬養健命は大吉備津彦命の随神なり。
よって氏神吉備津神社のため尽瘁するところ多し。
毅の没するや郷党の人々その高風を慕い、昭和九年この地に
銅像を建つ。作者は朝倉文夫、雄姿堂々として天下を睥睨する
の概あり。


--------------(吉備津神社 境内案内板より)

※犬養健命=桃太郎に出てくる犬のモデルとなった人です。
 犬養毅はそのかたの子孫にあたるのだそうな。

20190528_吉備津神社_005

こちらは「矢置岩」

20190528_吉備津神社_006

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矢置き岩の由来 
 社伝によれば 当社の西北八キロの新山に温羅といふ鬼神あり
凶暴にして庶民を苦しむ。大吉備津彦命は「吉備の中山」に
陣取り 鬼神と互に弓矢射るに 両方の矢 空中に衝突して落つ。
そこに矢喰宮(岡山市北区高塚に現存)あり。また中山主神は
鬼神の矢を空中に奪取す。当社本殿の中に祀る矢取明神は
すなはちそれなり。この戦のとき大吉備津彦命その矢をこの岩
の上に置き給いしにより矢置岩と呼ぶ と。旧記によれば中古
より箭祭の神事あり。願主は櫻羽矢または白羽の矢を献る。
神官その矢を岩上に立てて交通の安全を祈る。のちその矢を
御蔵矢神社納むる例なりき と。この神事いつしか中絶せしが
昭和三十五年 岡山県弓道連盟の奉仕により復活され
毎年正月三日ここに矢立の神事を斎行することとなれり。

--------------(吉備津神社 境内案内板より)

北隋神門は屋根の葺き替え工事をしていました。

20190528_吉備津神社_007

20190528_吉備津神社_008

20190528_吉備津神社_009

石段をのぼって進みましょう。

20190528_吉備津神社_010

★その2の前に吉備津神社のネコさんの記事に続く。
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★猫なぞどうでもいい!という人はその2へ。
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