FC2ブログ
定食屋さんに訪れるような感覚で見てもらえたら嬉しいです。中身は趣味のネタ色々。ヲタクなネタから神社めぐりまでw
| Login |
2019年12月08日 (日) | 編集 |
いきなり検索でココに辿り着いた人は、その1からどうぞ。
http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-3010.html

20191203_皇居_018

20191203_皇居_019

下の写真は「皇居正門石橋旧飾電燈」。

20191203_皇居_020

どんどん歩いていきましょう。

20191203_皇居_021

20191203_皇居_022

下の写真は「百人番所」。

20191203_皇居_023

20191203_皇居_024

20191203_皇居_025

----------------------------
 江戸本丸への道を厳重に守る大手中之門に向き合って
設けられた警備詰所です。甲賀組、伊賀組、根来組、
二十五騎組という4組の鉄砲百人組が昼夜交代で勤務して
いました。各組は、20人の与力と、100人の同心で構成
されていました。


---------------------(案内板より)

百人番所のそばにある「中之門」。
ちなみにですが下の写真の門に向かって右手側の写っていない
部分で数人の警察官に囲まれモメているおっさんがいました
スキンヘッドの男だったけど、まさか前にニュースになってた
荷物検査を拒否していた男と同一人物ではあるまいな?
声を荒らげてなんか言ってたけど、遠巻きに見ていたから
なんでモメているのかがよくわからなかったよ。

番所があるココが昔は怪しい奴をせき止める場所だという点で
現代も似た役割を果たしていたのを目の前に、実に面白い光景
を見てしまった気分になりましたw

警察官の皆さん、変なヤツ相手にお仕事お疲れ様です。

20191203_皇居_026

「同心番所」。

20191203_皇居_027

20191203_皇居_028

----------------------------
 「番所」とは警備詰所のことで、江戸城にあった番所
のうち、百人番所、大番所、同心番所の3つが残っています。
ここには主として「同心」と呼ばれる武士が詰め、登城者の
監視に当たっていました。屋根瓦には、皇室の菊の御紋のある
ものや徳川家の葵の門があるものが見られます。


---------------------(案内板より)

皇宮警察のパトカー。
この車は皇居の中をパトロールしているもので、
外の公道を走っていることは滅多にないそうです。

20191203_皇居_029

20191203_皇居_030

20191203_皇居_031

20191203_皇居_032

20191203_皇居_033

「大手門」。ここから退場しました。
出てすぐに信号があるためちょっとした渋滞が。

20191203_皇居_034

20191203_皇居_035

20191203_皇居_036

----------------------------
大手門は江戸城の正門で、諸大名がこの門から登城しました。
大小2つの門に囲まれた枡形は、侵入する敵を阻止・攻撃し
易い構造になっています。大きい方の門は、昭和20年
(1945年)4月の空襲で焼失した、昭和42年(1967年)に
復元されました。焼失前の門の屋根に飾られていた鯱には、
頭部に「明暦三丁酉」(1657年)と刻まれています。
この明暦3年には、江戸城の多くの建物が焼失した明暦の大火
が起きており、鯱は、大火の後、江戸城再建時に制作された
ものと考えられます。


---------------------(案内板より)

門のそばにあった「鯱」。
小さな女の子が指差しお母さんに何度も「…エビ?…エビ?」
と聞いていて、思わずほっこりしてしまいました。可愛いw
(「エビちゃうわ」というお母さんのツッコミにも笑った)

20191203_皇居_037

うん、確かに小さい子にはエビフライに見えちゃうかもね。
お子様ランチに乗ってるエビがこんな感じだもんねw

20191203_皇居_038

大嘗宮の拝観、楽しかったです。
貴重なものを見せていただきありがとうございました。

20191203_皇居_039


ブログに訪問ありがとう。
記事が面白かったら拍手をポチッとよろしく♪
関連記事
テーマ:東京23区
ジャンル:地域情報
2019年12月08日 (日) | 編集 |
いきなり検索でココに辿り着いた人は、その1からどうぞ。
http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-3010.html

大嘗宮の裏側にまわって行きましょう。

20191203_皇居_大嘗宮_047

20191203_皇居_大嘗宮_048

20191203_皇居_大嘗宮_049

20191203_皇居_大嘗宮_050

20191203_皇居_大嘗宮_051

下の写真は「廻立殿」。
大嘗祭では天皇陛下が湯あみをし、装束を改める殿舎。

20191203_皇居_大嘗宮_052

20191203_皇居_大嘗宮_053

紅葉が綺麗です。

20191203_皇居_大嘗宮_054

裏手側から見る「悠紀殿」。

20191203_皇居_大嘗宮_055

さて、大嘗宮を拝観したあとの+α の写真ですよー。
下の写真は江戸城の「天守台」。

20191203_皇居_001

20191203_皇居_002

20191203_皇居_003

----------------------------
 徳川家康の入城以来、江戸城では、慶長度天守(1607年)、
元和度天守(1623年)、寛永度天守(1638年)と3度、
天守が建てられました。最も規模が大きかった寛永度天守は、
地上からの高さが約58mあったといわれています。
 この天守台は、寛永度天守が明暦の大火(1657年)により
焼失した後、天守再建を目指して万治元年(1659年)に
築かれたものですが、幕府内で、天守は不要との結論が下され
この天守台には天守が建てられないままになりました。
 江戸時代の江戸城は、天守があった50年間の後、天守が
ない状態が210年間続いたことになります。


---------------------(説明文より)

皇居東御苑の方にやって参りました。
下の写真は「諏訪の茶屋」です。

20191203_皇居_004

20191203_皇居_005

20191203_皇居_006

20191203_皇居_007

----------------------------
 諏訪の茶屋は、元々、明治45年(1912年)に、
皇居内の吹上地区に建てられたものです。その場所に、
江戸時代に諏訪社があったことから、諏訪の茶屋という名前が
付いています。昭和43年(1968年)に現在の場所に移築され
ました。


---------------------(案内板より)

庭園に池がありました。

20191203_皇居_008

20191203_皇居_009

20191203_皇居_010

20191203_皇居_011

20191203_皇居_012

見たこともない美しいコイがいたので撮影。ながーい尾びれを
ヒラヒラさせながら優雅に泳ぐ姿は、とても美しかったです。
この子たちは「ヒレナガニシキゴイ」という種類だそうな。

20191203_皇居_013

20191203_皇居_014

20191203_皇居_015

20191203_皇居_016

20191203_皇居_017

★その4に続く!
http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-3015.html


ブログに訪問ありがとう。
あなたの応援が励みとなっています。拍手をポチッと宜しく!
関連記事
テーマ:東京23区
ジャンル:地域情報