コメントつけて半年以上放ったらかしにされているんだけど
(ブログも放置状態?)あまり気分の良いものじゃ無いね。
理由はよく知らないけどtwitterメインにしてブログにレスを
返さない(返す暇無し?)のならいっそコメ欄閉じるか、
私の書いたコメント削除してくれんかなぁ…
もし何か失礼があったのなら謝るし(した覚えはないけど)、
無反応な理由がよくわかんない。
…っていう愚痴。
コミュニケーションはキャッチボール。
随分仲良くさせて頂いたが、ボールが返ってこなければもう
お付き合いはそこまでって感じ?(因みにその方のウチでの
最終コメントは4年前。多分もうココも見てないだろうし、
こちらから訪問する事も少し考えてしまう)
ブログに訪問ありがとう。
ただの愚痴日記につき、コメ欄は閉じさせて頂く。
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【久能山東照宮博物館】
https://www.toshogu.or.jp/kt_museum/

シュールな顔はめパネルが(顔の部分が開閉するタイプ)。

現在はもう終了していますが、この時、
秋季企画展「天下人の愛刀と写し」が開催されていました。
刀剣乱舞とコラボっていて、ゲームのキャラクターの幟が…


クラウドファンディングで「刀剣修復プロジェクト」
という企画があったのはご存知でしょうか。
(詳細/https://camp-fire.jp/booster-parco/projects/309)
錆だらけの刀を修復させるためにはお金がかかります。
その資金を集めるためのプロジェクトが立ち上がったそうで、
全国津々浦々、刀剣好きの方々からの支援により莫大な資金を
集める事が出来、無事刀の修復も終えて開催されたのが
このお披露目イベントなのです。
【博物館内にあったパネル】
三輪士郎さんのサインが書かれてありました。




館内撮影出来るのはこれだけ。
展示物は撮影禁止なのでココまでです。
《展示されていた刀剣》
・重要文化財 太刀 無銘 光世作(ソハヤノツルキ)
・ソハヤノツルキ写し(宮入昭平作)
・ソハヤノツルキ写し(宮入行平作)※修復刀剣
・小烏丸写し※修復刀剣
・ソハヤノツルキ写し ※株式会社ニトロプラス所有
・小烏丸写し ※株式会社ニトロプラス所有
平成29年9月、神庫の調査により発見された奉納刀。
錆びた状態から修復させることは不可能とまで言われていたが、
見事、元の状態になって展示されていた刀は美しい姿でそこに
鎮座しておりました。
久能山東照宮のYouTubeチャンネルで、行けなかった人のため
に公開されていましたので貼っておきますね。
刀の他に、鎧やら色々なものも展示されていましたよ。
むかし博物館内に、健康オタクの家康さんが薬を調合する時に
使用していた乳鉢も展示されていたような記憶があるんですが…
今は置いていなかったです。(´・ω・`)
さて、日本平に戻りましょうかね。
帰りのロープウェイ内は刀剣乱舞「ソハヤノツルキ」声優さん
による行きの時とは違う内容の案内でした(イベント限定)。

★更におまけに続く。
日本平のB級グルメ
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日本平にいたネコちゃん
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「こんな面白そうなイベントをやっていたのか…」
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「徳川家康公 御神廟」の場所に到着しました。

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神廟は本殿の後方にある廟門より約40段の石段を登った所
にあります。 ここは御祭神徳川家康公の御遺骸を埋葬し
奉った所で以前は御宝塔と称えていました。
元和2年(1616)の創建当初は木造桧皮葺の造りでありまし
たが、寛永17年(1640)に3代将軍徳川家光公により現在の
石造宝塔に造替されました。宝塔の高さは、5.5メートル、
外廻り約8メートル、前面に唐戸があります。軒の四隅に唐銅
の風鐸が掛かっています。
なお神廟は家康公の御遺命により西向きに建てられています。
西の方には、公の御両親が子授け祈願の参籠をされたという
言い伝えを持つ鳳来寺があり、さらにその西に岡崎の松平家
の菩提寺大樹寺、家康公誕生の地である岡崎城があります。
そしてその延長線は京の都へと続いています。
-------------(久能山東照宮 公式サイトより)




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徳川家康公は生前、家臣に対し、自分の死後について
「遺体は駿河国の久能山に葬り、江戸の増上寺で葬儀を行い、
三河国の大樹寺に位牌を納め、一周忌が過ぎて後、
下野の日光山に小堂を建てて勧請せよ、関八州の鎮守になろう」
(『本光国師日記』より)との遺言を残されました。
この御遺命により御遺骸を久能山に埋葬し、その地に2代将軍
秀忠公の命により久能山東照宮が創建されました。
---------(久能山東照宮 公式サイトより一部抜粋)
《ちょこっとこんなお話を》
家康公の死後、彼の大事にしていた愛馬は夜になると御神廟の
脇で休み、朝は厩舎に戻り餌を食べてを繰り返していたそう。
ある朝、馬が厩舎に戻らなかったため神廟を確認したところ、
静かに眠ったままの姿で見つかったというお話があります。
家康公の愛馬は、御神廟のすぐ側に埋葬されました。
これを撮影した日、その場所は補修工事中の為の柵がしてあり
見る事が出来ませんでした(過去に何度か目にしましたが、
墓らしい墓は無くてごくシンプルな場所だったと記憶)。
馬が埋葬された場所は家康公の御神廟後方にあります。
【金の成る木】
御神廟に向かって右手側の方にあります。




金の成る木、遠景。

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ご祭神徳川家康公にまつわる多くの遺話の中に
「金の成る木」があります。これには前面右の
楠の大樹がふさわしいと思われます。
家康公が家臣たちに『金の成る木』について問われたところ
誰も知らず、家康公は自ら筆を把られて幹三本を描き、
『よろず程のよ木』『志ひふかき(慈悲深き)』
『志やうぢ木(正直)』と書かれ、「これを常々信用すれば
必ず富貴が得られよう」と仰せられました。その後、
細川忠興公がこれに左右の枝を描き『あさお木(朝起)』
『いさぎよ木』『志んぼうつよ木』『ゆだんな木』
『ようじょうよ木(養生)』『かないむつまし木』と書き
加えられ「左右の枝が繁盛するならば一段と富貴が得られる
であろう。皆々この『金の成る木』を写しとって家内のものに
教えるように」と命ぜられたといいます。
ご参拝の皆様にはこの『金の成る木』にあやかられ、
毎日が心豊かで健やかな生活を送られます様ご祈念申し上げ
ます。
-------------(久能山東照宮 境内案内板より)
お参りを終えたので戻ることにしましょう。


久能山の過去と現在。


門衛所辺りから見える駿河湾。このように晴れた日は、
伊豆半島が先端の方まで綺麗に見えますよ♪


★久能山東照宮「おまけ」に続く!
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