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2021年02月08日 (月) | 編集 |
2020.11.9 参拝 
「丹生川上神社・上社」にやって参りました。

20201109_niu_kamisya_001.jpg

大滝ダムの記事(↓)で書きましたが、
http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-3569.html
大滝ダムの龍神湖に沈み、高台に遷座した丹生川上神社・上社
がこちらの神社でございます。

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丹生川上神社・上社
http://web1.kcn.jp/niukawakamijinja-kamisha/
御祭神:高龗大神/相殿:大山祇神、大雷神
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【御由緒・御崇敬】
 丹生川上の地は、日本書紀神武天皇即位前紀戊午年九月甲子
の条に、「厳瓮を造作りて、丹生の川上に陟りて、
用て天神地祇を祭りたまふ」と記されており、上古より祭祀を
行う聖域であったことが知られます。
 天武天皇の御代白鳳四年(675)、「人の声聞こえざる深山
吉野の丹生川上に我が宮柱を立てて敬き祀らば天下のために
甘雨を降らし霖雨を止めむ」という神宣により、
御社殿が建立、奉祀されました。
 それ以降、祈雨・止雨の神として奈良時代には淳仁天皇・
天平宝字七年(763)の奉幣祈雨、光仁天皇・宝亀六年(775)
の奉幣祈晴をはじめ、室町時代に至るまで数十回の奉幣祈願
がなされ、朝廷・国家また人々より篤い崇敬を受けて
まいりました。

この里は 丹生の川上ほど近し
  祈らば晴れよ 五月雨(さみだれ)の空


 後醍醐天皇が吉野の行宮に在らせられた折、
当社に寄せて詠まれた有名な御製です。朝廷の奉幣にあたり、
旱魃の際の祈雨には黒毛の馬を、長雨の際の止雨には白毛の馬
を奉るのを例としました。(なお、この生きた馬の代わりに
絵馬を奉納するという風習が、のちに普及したといわれて
います。)

 平安時代の法令集「延喜式」(927)では、名神大社という
特に霊験あらたかな神社として月次・新嘗祭に際し官幣に
預かり、神階は寛平九年(897)従二位に叙せられました。
また、雨師社・雨師明神・丹生大明神とも称されました。
そして平安中期以降は、朝廷における最高格の社格となる
「二十二社」の一つに数えられました。
しかし、応仁の乱(1467)の後は奉幣も途絶えて衰微し、
社地の所在も不詳となりました。
 明治以降、御由緒の重きにより官幣大社として上社
(明治二十九年)、中社(大正十一年)、下社(明治四年)
の三社が列せられました。

-----------------------(↓続く)

20201109_niu_kamisya_003.jpg

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【御遷座と元境内地 ・宮の平遺跡】
 当社境内地は、昭和三十四年の伊勢湾台風による大滝ダム
建設に伴い水没のやむなきこととなり、天下万民の幸福のため、
現在地に平成十年三月にご遷座しました。その後に行われた
県立橿原考古学研究所による元境内地の発掘調査の結果、
本殿基壇の直下から数期にわたる神社関連遺構が検出され、
奈良時代後半から平安時代前期頃に祭場として意識され、
平安末期から鎌倉初頭には社殿が建立され、
その後造替を繰り返して現代までに奉祭され続けてきたことが
明らかにされました。
「延喜式」に名が見える古社の全面的発掘は初めてのことで、
神社・社殿建築の歴史・展開を考えるうえで貴重な事例と
されています。
 また元境内地からは、長さ30センチメートル前後の石棒が
10本以上出土。うち1本は直立した状態でした。
これらは縄文時代中期末~後期初め(約4,000年前)の祭祀跡
とみられています。

---------(丹生川上神社・上社 公式サイトより)

神社から龍神湖方向を撮影。

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【末社・山之神社】
御祭神:大山祇神
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【末社・愛宕社、恵比須社、水神社】
愛宕社/御祭神:火武須毘神
恵比寿社/御祭神:大国主神、事代主神
水神社/御祭神:弥津波能売神

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【平安時代祭場跡(復元)】
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 平成十一年(1999)の発掘調査によって本殿基壇直下で
検出された敷石遺構。緑色岩類・砂岩・チャートなどの自然石
を長方形に敷き並べたもので、長辺約5.4m、短辺約3.0mの
規模を有する。本殿基壇は、十二世紀末から十三世紀初頭に
造営され、その後現在地へ遷座するまでの約800年にわたって
造替を繰り返し、その都度規模を拡張してきたことが、
発掘調査によって明らかになった。最初に造営された本殿基壇
は、敷石遺構の平面形態を踏襲し、その上に盛土造成して造営
されていることから、この敷石遺構は、本殿建立以前の祭場と
考えられる。
 なお、敷石遺構周辺の整地土からは平安時代の土師器皿が
多数出土しており、これらの出土遺物から、この遺構は
遅くとも十一世紀後半から十二世紀初頭頃までに構築された
ものと考えられる。

---------------------(案内板より)

顔はめパネルがありました。どうでもいいお話ですが、
龍の上に子供が乗ってる絵を見ると「まんが日本昔ばなし」
を思い浮かべてしまう昭和世代の私。

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神社の端っこの方に「元宮遥拝所」
ダム湖に沈んだ元宮をここから拝する事ができます。
どうでもいいけど百円〜五百円玉いっぱい置いてあったけど、
ちゃんとした賽銭箱を作ってあげないと盗まれそうで怖い。
(コロナ禍で入国が制限されている時期でしたので、
一番盗みそうな特亜人がいなかった事だけが幸いかも)

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龍神湖方面。カメラを左から右に。

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神社から目にする自然の景色がとても素敵なので、
皆さんも是非、この神社にお参りをされてはいかがでしょう。


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テーマ:奈良
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