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定食屋さんに訪れるような感覚で見てもらえたら嬉しいです。中身は趣味のネタ色々、たまに飯テロ。ヲタクなネタから神社めぐりまで。お好きな記事をブログカテゴリからお選びください。
2021年03月31日 (水) | 編集 |
2021.3.30 撮影
春に咲く川沿いの桜が綺麗だから毎年楽しみにしてる。
気分を紛らわすための放浪散歩、本日は焼津西小学校付近から
スタートして小石川公園までの写真をアップしていきます。

20210330_焼津_小石川_001

20210330_焼津_小石川_002

20210330_焼津_小石川_003

若い女性、親子連れ、老夫婦…歩きながら桜を愛でたり、
ベンチに座ってまったりする人の姿がちらほらと。
こういう風景を目にすると日本に生まれて良かったって思う。

20210330_焼津_小石川_004

20210330_焼津_小石川_005

20210330_焼津_小石川_006

【小石川公園】
小さい頃に友達とよく遊んだ公園。SLが置かれている事から、
昔から今日に至るまでずっと「汽車公園」と呼んでいる。
SLの内部に入れるけれど、写真は撮ってこなかった。

20210330_焼津_小石川公園_汽車公園_001

側に案内板が立っているので転載。

20210330_焼津_小石川公園_汽車公園_004

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 私は、昭和4年12月に名古屋市で生まれました。
当時は、旅客列車用の花形機関車として米原機関区に配置され、
東海道本線の急行旅客列車などをけん引しました。
 その後、稲沢・名古屋・美濃太田・豊橋の各機関区に所属し、
主として、東海道本線・関西本線・高山本線で活躍し、最後は、
豊橋駅の構内で入換用機関車として、昭和46年3月まで活躍
いたしました。しかし私も年寄りになりましたし、国鉄の動力
の近代化ということもあって、電気機関車に後をゆずり、
私の役目は終わったわけです。
 昭和46年12月には、廃車の指定を受け、42年という長い
生涯を終え、まさにスクラップ寸前といったところを、
焼津市の皆様のご好意で、ここ小石川公園に引取られました。
 お化粧しなおして、よい子の皆様の前に二度目のおつとめを
することになったわけです。
 焼津市の皆様の前に、姿を見せてから10年以上になりますが、
あいかわらずかわいがっていただきたいと思います。

-----------------------(↓続く)

20210330_焼津_小石川公園_汽車公園_002

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※なまえ C5096(過熱テンダー機関車)
※誕生日 昭和4年12月4日
※生まれた場所 名古屋市熱田 日本車輌株式会社
※身長 長さ16m68cm 幅 2m55cm
    高さ 3m88cm 動輪の直径1m60cm
※体重 空車のとき 64.4トン
    積車(水・石炭を積んだとき)87.4トン
※私の力 最高速度 1時間に90キロメートル
    引っ張る力 610馬力(貨車で50両)
    蒸気圧力14kg/cm2

         昭和58年3月 焼津市教育委員会

---------------------(案内板より)

自分が生まれる少し前くらいから既にあったようなので、
この子は40年以上ココにいる事になる。
小さい頃はこの汽車の中で運転士ゴッコをして遊んだり、
男の子に混じっては石炭を積む場所によじ登ったり、
他にも行けそうな場所を見つけてはそこに行って遊んでた
のが懐かしい。SLさん、あの時はお世話になりました。

20210330_焼津_小石川公園_汽車公園_003

焼津駅が近いため、公園の脇を列車が頻繁に通過していく。
子供の頃にココでよく耳にしていたガタゴト音が心地良い。
あぁ…このまま過去に戻りたい…現実に戻りたくない…

20210330_焼津_小石川公園_汽車公園_005

色とりどりのチューリップ。
花壇に綺麗な花がいっぱい咲いていました。

20210330_焼津_小石川公園_汽車公園_006

20210330_焼津_小石川公園_汽車公園_007

小石川の鴨さんが可愛い。(´ω`*)

20210330_焼津_小石川_007

小石川って昔は鯉しかいなくて汚い川だったけど、
今は水質が改善されてそれなりに綺麗になってるんだよな。
鯉以外に水鳥たくさん見かけるよ。


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2021年03月30日 (火) | 編集 |
2021.3.29 参拝 
今年も焼津神社の桜が綺麗です。

20210329_焼津神社_001

桜を見た後にお参り。
時々、何をしたらいいのか全然先が見えなくなって自分探し
みたいな事をする時があるけど、最近はちょっとそれが長い。
誰に相談しても解決しないから一人で抱えればいいし、
(結局、自分を守れるのは最終的には自分自身だと思う)
考え始めると堂々巡りになって止まらなくて不安になる。
いつもは神社で自分の願い事する事は無いけれど、
心のモヤモヤが少しでも早く取れるようお願いしてみた。

20210329_焼津神社_002

どん詰まって「何をしたらいいかわからない。何も見えない」
と言われたって、神様もきっと「俺に言われても」だろうな。
本来「それを打破するため努力しますから、見守って下さい」
というのが正解なんだけど、今はとっても氏神様にすがりたく
なる気持ちでいっぱい。

20210329_焼津神社_003

境内の隅に咲いている黄色いお花も可愛い。

20210329_焼津神社_004

小石川沿い(三ヶ名付近)。
この辺りも春になると川沿いの桜が美しく咲きます。

20210329_三ヶ名_小石川_001

20210329_三ヶ名_小石川_002

20210329_三ヶ名_小石川_003

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2021年03月28日 (日) | 編集 |
2020.11.10 探訪
「黒塚古墳」にやって参りました。
天理市の黒塚古墳のページにパンフレットがありましたので、
こちらにリンクしておきますね(pdfで開きます)。

https://www.city.tenri.nara.jp/material/files/group/36/46977018.pdf

20201110_史跡_黒塚古墳_001

----------------------------
 黒塚古墳は、墳丘の主軸を東西方向に置き、後円部を東に
する前方後円墳です。全長約130m、後円部直径約72m、高さ
約11mの規模を有します。後円部の調査では、中央部において
中軸に直交する、南北方向の竪穴式石室を検出しました。
 竪穴式石室は南北長さ約8.3m、北小口幅は約1.3m、
南小口幅は約0.9m、高さ約1.7mです。石室規模は全国第4位の
規模であり、特に墳丘の規模の比較からすれば長大な石室が
作られていたと言えます。
 石室の構造は、下部を3~4段が人頭大の自然石を積み上げ、
この上部から天井部までは板石により強く持ち送りながら
壁面を作っています。このため板石で積まれた壁面は、
断面が三角形状を呈する合掌式の竪穴式石室であることが
わかりました。
 石室内には南北長さ約6.2m、幅約1mの粘土で作られた
棺台が置かれていました。断面はU字形であることから、
本来は割竹式木棺がこのうえに置かれていたことでしょう。
ほぼ中央部は鮮明な朱色を呈しますが、分析の結果水銀朱が
付着しています。おそらくこの範囲が被葬者の埋葬された場所
と考えられます。

-----------------------(↓続く)

20201110_史跡_黒塚古墳_002

----------------------------
 石室に残された遺物は盗掘を免れ、埋葬された当時のまま
出土しました。棺内の遺物は画文帯神獣鏡1面が立った状態で
あり、その両端からは刀剣が2振り置かれていました。
棺外では33面という大量の鏡が、棺と壁面の間、および
北小口に立てかけるように置かれていました。鏡式は全て
三角縁神獣鏡であるという点もこれまでにない特徴です。
そして鏡に重複するように、刀剣類、鉄鏃、槍などが出土
しました。
 今回の調査結果は、古墳築造に込められた当時の葬送思想の
解明ばかりか、初期ヤマト政権の樹立を究明する重要な資料と
なるでしょう。
         平成13年(2001)1月29日 国史跡指定

-----------------(黒塚古墳 案内板より)

墳丘の方向にカメラを向ける。

20201110_史跡_黒塚古墳_003

20201110_史跡_黒塚古墳_004

【黒塚古墳の全景(南から)】
20201110_史跡_黒塚古墳_005

----------------------------
 黒塚古墳は柳本町の市街地に所在し市民の憩いの場所と
なってきた。古墳時代後期に築造された全長約132mの
前方後円墳である。現在地は後円部の東側裾付近である。
この古墳は行燈山古墳(崇神天皇陵古墳)を盟主墳とする
柳本古墳群の中にあり、古墳群では最初に築造された古墳
であると推定される。

-----------------(黒塚古墳 案内板より)

墳丘から見下ろしてみる。

20201110_史跡_黒塚古墳_006

竪穴式石室があった場所を示すものが。

20201110_史跡_黒塚古墳_007

20201110_史跡_黒塚古墳_008

案内板があったので転載していきますね。
皆さんきっとサラッと読み流したりしてると思いますが、
毎回写真を編集しつつ、説明文を全て見ながらひとつひとつ
打ち込んでいる苦労もわかって頂けたら嬉しいッス。
(これって料理と同じだよね。調理には時間かかるけど、
食べるのだけはみんな早い。よく味わって食べて欲しいな)

20201110_史跡_黒塚古墳_009

【後円部に作られた竪穴式石室】
20201110_史跡_黒塚古墳_010

----------------------------
 北側から竪穴式石室と副葬品が配置された様子を見ている。
棺内中央には画文帯神獣鏡と刀剣が置かれていた。画文帯神獣
鏡は、直径13.5cmで頭部付近にあり、周囲に置かれた三角縁
神獣鏡に比べても小さい。被葬者が日常的に使っていた鏡で
あろうか。頂上部を囲う石列は、竪穴式石室を構築するための
墓礦ラインを表している。東西15m以上、南北17m以上の
大規模な墓礦である。西斜面の2列の石列は墓道(作業道)を
表している。

-----------------(黒塚古墳 案内板より)

20201110_史跡_黒塚古墳_011

----------------------------
 竪穴式石室は、現在の頂上から約2mの深さに作られている。
発掘調査により、盗掘や地震によって散乱していた石材や土砂
を取り除いた。竪穴式石室は、後円部のほぼ中央にあり、
長さ約8.3m、幅約0.9〜1.3mの規模で、南端付近での高さは
1.7mの長大な石室である。中央に赤く染まっているのが、
竪穴式石室の内部におかれた粘土棺床である。この上に長さ
6.2m、直径1mを超えるクワの巨木で作られた割竹形木棺が
置かれたが、すべて腐り残っていない。竪穴式石室の周囲には、
石室の構造を支えるための裏込石が集積され、さらにこの石の
上を粘土で被覆している。

-----------------(黒塚古墳 案内板より)

古代における赤(朱)色は、呪術的なものというか、
魔除け的な意味があるんですよ。今でも神社に朱色が使われて
いるのもそういった理由があるからです。ちなみに昔々、
朱色は「丹」と呼ばれ、顔料として硫化水銀が使われていて、
防腐剤や防虫剤としての役割も果たしていました。

(=゚ω゚)「……丹……辰砂……賢者の石!」
SERUNA:「はいそこ、話が脱線していくから黙ろう」

20201110_史跡_黒塚古墳_012

----------------------------
竪穴式石室の崩落状況 
 地震で崩壊した竪穴式石室である。写真の中央が石室の空間
部分にあたるが、ここには左右の両壁から滑り落ちた板石が
空間を満たしていた。これにより、板石の直下にあった鏡など
の副葬品は盗掘から免れたのである。
地震は古墳が作られてから程なく発生したようで、強い揺れは
石室以外の場所でも影響が観察された。

-----------------(黒塚古墳 案内板より)

20201110_史跡_黒塚古墳_013

----------------------------
石室の南側 
 竪穴式石室の南側が破壊を免れていた。
石室は床面から1.7mあり、両側壁面が天井部で重なる合掌型
の構造である。大和古墳群でも初期に築造された竪穴式石室
に採用されたが、石室構造が不安定であるため類例はない。
 石室の下部は3〜4段を川原石で構築し、上部は板石を強く
持ち送る。川原石にはベンガラが塗布され石室内の荘厳を醸し
ている。


-----------------(黒塚古墳 案内板より)

北西方向を撮影。遠くに見える山は恐らく「松尾山」。

20201110_史跡_黒塚古墳_014

箸墓古墳がある南の方向。

20201110_史跡_黒塚古墳_015

★その2に続く!
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2021年03月27日 (土) | 編集 |
2020.11.10 探訪
「黒塚古墳」を見学する前、展示館に訪れました。
施設に入ると、実物大の復元竪穴式石室が。
大掛かりな模型で面白いね。

20201110_kurozukatenji_001.jpg

長さ8.3m、幅約0.9〜1.3m、高さ1.7m。
古墳からは鏡や鉄製品などの副葬品が出てきたそう。

20201110_kurozukatenji_002.jpg

20201110_kurozukatenji_003.jpg

2階から見下ろしたところ。

20201110_kurozukatenji_004.jpg

2階に展示されていたもの。三角縁神獣鏡33面、
画文帯神獣鏡1面、鉄製刀剣類のレプリカなどなど…

20201110_kurozukatenji_005.jpg

----------------------------
天理市立 黒塚古墳展示館
http://www.city.tenri.nara.jp/shisetsu/kyouikubunkacommunity/kurodukakofuntenjikan/1395295232369.html
住所/天理市柳本町1118番地2
電話番号/0743-67-3210
開館時間/9:00〜17:00
休館日/月曜日、祝日
(月曜日が祝・休日の場合は次の平日も休館)
年末年始(12月28日~翌年1月4日)
ゴールデンウィークは祝日も臨時開館します。

※施設情報は2021年3月現在のものです。
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★史跡「黒塚古墳」へ続く!
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2021年03月25日 (木) | 編集 |
旧港と浜当目の景色はこちら。
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2021.3.24 撮影 
昨日も気を紛らわせるため、ぶらり放浪に。
天気が良かったので新港から富士山が綺麗に見えましたよ。

20210324_焼津港_新港_001

「深層水ミュージアム」2階からの景色。
上の写真と同じ方向を向いて富士山を撮影。桜も咲いています。
この近くに「うみしる」という水産技術研究所展示室もあり、
焼津に訪れる人は(展示物自体は少ないですが暇潰しにでも…)
そちらの施設を見学するのもオススメです。
※後日、記事にする予定。

20210324_焼津港_新港_002

親水広場「ふぃしゅーな」にて。
広場についての詳細/https://yaizulife.jp/fishing/fishuna/
(リンク先:やいづライフ 焼津市移住定住総合支援サイト)

20210324_焼津港_新港_003

真っ白で綺麗な砂が敷かれた砂広場ゾーン。
ところでこの砂はどこから運ばれてきたものだろう?

20210324_焼津港_新港_004

フィッシングゾーンで釣りを楽しむ人々。昔から焼津民は、
港まで足を運んで釣りをする人が多かったりする。
ちなみに、釣った魚はそのまま食卓に並ぶパターンw
私が子供の頃は、同級生の男の子たちが休日よく自転車で
焼津港や小川港まで釣りに出掛けたものだが、娯楽が多く
少子化な今は釣りをする子供が少なくなっているようです。

20210324_焼津港_新港_005

20210324_焼津港_新港_006

【この日歩いたコース】
新港→ 深層水ミュージアム→うみしる→うみえーる焼津
→小川港→青峰辺り→八雲通りから北浜通り
 
目的なく歩いてぐるっとした感じ。

次はどこへ行こうかな。
何も考えずに歩くだけでも気分が紛れるかと思って歩いてる。

そういえば奈良を旅行した時のレポートがまだ途中だった。
弱小ブログなので、気にして見てくれている人もごく僅かだし
コロナ禍でどうせまだ暫くどこにも旅行に行けないから、
ゆっくり更新していく予定。


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