「葛木坐火雷神社」にやって参りました。
小耳に挟んだ話、鬼滅の刃のファンが作品とは全然関係のない
この神社を聖地としているそうな。なぜかと言うと理由は、
ここの神社の名前と御祭神が、我妻善逸というキャラが使う技
の名前「雷の呼吸漆ノ型 火雷神」と似ているからという
単純な理由。っていうか御祭神である火雷神は雷神と言われて
はいるが属性火の神なんですけどそれは…
とツッコんだのは秘密。

とりあえず言っておく。
私も鬼滅好きだけど、聖地化しているからという理由で
ココに来たわけでは断じて無いですからね。
(第一、舞台になった場所でもなんでも無いのに、
聖地聖地言いながら行く意味が私にはよくわからんし)


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天然記念物 笛吹神社イチイガシ林
昭和六十二年三月十日指定
奈良盆地周辺の扇状地の極相は、イチイガシ林であること
が知られているが、こうした地域は人の生活領域であり、
奈良では古くから開けてきた。
そうしたなかで、笛吹神社の社そうは海抜170m前後の
扇状地に残されており、境内南側の南向き斜面のものは
イチイガシ林として保存状態が良い。
群落の高さは22m程度あって、低木層には後継樹として
イチイガシが優占し、ほかにヤブツバキ、アラカシ、アオキ
など樹種が多い。
笛吹神社イチイガシ林は学術上、教育上、環境保全上
極めて重要である。
--------------(葛木坐火雷神社 案内板より)
鳥居をくぐって進みましょう。
目の前に見える石は「御百度石」。そういえばお百度参りって
そこまで強く願う事がひとつも無いから全然やった事無いや。


御百度石の近くに鎮座しているのは(向かって左から…)
「熊野神社・稲荷神社・春日神社」。

酔いそうな角度でゴメン。更に進みましょう。

おぉぉ…いい雰囲気。
神社のこういう空気は大好きだ。たまらん。

明治時代に奉納されたロシア製の大砲があります。
昔のこういう形の大砲もゴツくて好き。


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境内中程の広庭にある大砲は日露戦争後、明治四十二年六月
に政府より奉献されたものである。当時日本各地の神社や
主要施設に奉納されたが、大東亜戦争中又戦後に大半が軍に
上納され、当時のままの姿で残る例は数少ない。
-----------------------(↓続く)


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全国に奉納された多くの戦利兵器は、大東亜戦争中は軍の
供出(お寺の鐘まで持っていかれる時代)にあったり、
戦後は進駐軍に引き上げられたりしたそうです。
当社への奉納にあたっては、汽車(現在のJR和歌山線)から
降ろして、今のような舗装もされていない道を、人や牛や馬
が引っ張って3㎞程の距離を運んできたようです。
-----------------------(↓続く)

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戦中戦後、人手も少ない中供出や引き上げの話が来たとき、
当時の宮司(社司)が「人手もないのに…持って行ってくれ
はんねやったらどうぞ~」と言ったとか言わなかったとか。
よく、「火の神様やから残ってるんですか?」とか
聞かれますが、そうでもなさそうです。
------------(葛木坐火雷神社 公式サイトより)

左から「森本神社・浅間神社・空室神社」。

隅に鎮座しているのは「梅室神社」。
元々は葛城市の梅室に鎮座していた神様だろうか。

大砲がある場所から見上げたところに、
葛木坐火雷神社の社殿があります。

★その2に続く!
→http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-3689.html
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