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定食屋さんに訪れるような感覚で見て戴けたら嬉しいです。中身は趣味のネタ色々、たまに飯テロ。ヲタクなネタから神社めぐりまで。お好きな記事をブログカテゴリからお選び下さい。
2021年11月20日 (土) | 編集 |
2021.11.16 探訪 
渡りはしませんでしたが本日は蓬莱橋を紹介しよう。
ここ最近テレビのバラエティ番組などで何度も取り上げられ
様々な芸能人が訪れていました。ジャニタレもやって来たこと
からファンと思しき女性が数名「聖地巡礼」的な感じで、
推しのアクリルスタンドを持参し茶屋の縁台に置いて記念撮影
をしている姿もありました。

地元の人、歴史に興味がある人、観光地だから来る人、
好きな人が来ていたから同じ景色を見たいという人などなど…
蓬莱橋には色々な人がやってきます。

(=゚ω゚)「なぜ渡らなかったんですか?」
SERUNA:「別にこの日でなくてもいつだって渡れるし」

…というか渡ってもただ長い橋を行って帰ってくるだけなので
多分面白くはないかも知れん。橋の先には展望台があって
そこからの眺めを楽しめる場所もあるので、気になるかたは
実際に行って確かめて欲しい。

20211116_蓬莱橋_001

20211116_蓬莱橋_002

もう少し全体が見える場所から写真を撮れば良かったが
忘れてしまった。かなり古そうに見える蓬莱橋ですが、
何度か台風で壊れたりしては架け替えられています。

20211116_蓬莱橋_003

20211116_蓬莱橋_004

「昔の蓬莱橋はこのような感じでした」と、
写真が飾ってあったのでほんの一部を撮ってみた。

20211116_蓬莱橋_005

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【蓬莱橋の歴史】
 明治2年(1869年)7月、最後の将軍徳川慶喜を護衛して
きた幕臣たちが、大井川右岸の金谷原(現在の牧之原大地)
の開拓を始め、お茶を作り始めました。当初は大変厳しい
環境の中で、筆舌につくせない苦労の連続でありましたが、
そのかいあって順調に茶栽培が営まれるようになりました。
 生活が安定するにしたがって、初倉(島田宿南部対岸の旧
初倉村)の人々は島田へ生活品を買いに出かけるようになり
ました。島田の人々も初倉に山林や原野の開墾のために
出かけるようになり、大井川を小さな渡船で渡らなければ
ならず、大変危険でありました。また、降雨により増水
すれば船は運航できず、悩みが絶えませんでした。
 そこで、島田宿の開墾人総代達は時の県令(現在の県知事)
に橋を架ける願いを出し、これが許可され、明治12年1月13日
に蓬莱橋が完成しました。通行料金は、開墾関係者以外は、
5厘を徴収し、開墾関係者は無償で往復させ、農業一途の使用
としました。「貸取り橋」の歴史はこれより始まったのです。
 蓬莱橋は木造であるため、大井川の増水のたびに被害を
受けてきたので、昭和40年4月にコンクリートの橋脚に
取り替え、今日の姿になりました。

-----------------------(↓続く)

SERUNA:「なお、コンクリの橋脚になっても台風で壊れたり
   している模様(確か10年くらい前にも脚がなくなった)」
(;゚Д゚)「…………えっ?!」
SERUNA:「大井川は悪天候で増水すると勢いが凄いよぉー」

むかしむかしの大井川について:
「箱根八里は馬でも越すが 越すに越されぬ大井川」。
江戸時代の大井川は東海道の難所の一つとされていました。
明治時代になるまで大井川には橋が無く、大井川を越えるには
川越人足の肩や連台に乗って渡るしか手段がありませんでした。
ちなみにそんな時代の大井川、雨で増水し「川留め」になった
のが最高28日間続いたという記録も残されているそうです。

20211116_蓬莱橋_006

20211116_蓬莱橋_007

20211116_蓬莱橋_008

20211116_蓬莱橋_009

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【蓬莱橋の由来】
 明治3年4月13日、静岡藩七十万石の藩主となった
徳川亀之助=家達(いえさと)は、藩内の志太・榛原・小笠
の三郡を見回りました。そのとき、谷口原の中条金之助景昭の
住まいに立ち寄りました。中条景昭は、明治2年、
牧之原開墾のため入植した幕臣で、名前を潜蔵(せんぞう)
と改めていました。徳川亀之助は、谷口から大井川を越して
御請新田へ移り籠に乗って堤防沿いを見回りました。
 横井十番出(よこいじゅうばんだし=現在の島田場入口付近。
「出」は突堤のこと)のあたりの堤防改修工事を視察した後、
しばらく休けいしました。そのとき、お供をしてきた潜蔵
に向かって、「農は里の宝 向こうの山は宝の山 みなで力を
あわせ宝の山を切り開けよ」と谷口原を指さし激励しました。
 その後、矢口原は開墾がすすみ、島田町の開墾農家の人たち
が、橋を架けてほしいという願いを県に提出しました。
明治11年12月5日には許可がおり、翌12年1月13日には、
いよいよ橋ができあがりました。
 さて、橋に名前をつけようということになりました。
いろいろ意見が出ましたが、町内の識者に意見を聞いたところ、
「藩候が谷口原を宝の山とおっしゃったことがある、
それにちなんで“蓬莱橋”にしたらどうか」と言ったので
「それがいいだろう」ということになり、
明治12年1月13日付けで、正式に「蓬莱橋」が誕生しました。

---------------(蓬莱橋リーフレットより)

現地で貰えるリーフレットはこちら。
http://shimada-ta.jp/_file/pamphlet/58d21f9ef1535afile.pdf

平成9年12月には「世界一長い木造歩道橋」(897.4m)
として英国ギネス社よりギネス認定がされており、
蓬莱橋の長さ897.4mから「厄なし」と厄払いの縁起スポット
にもなっているようです。橋のたもとには茶屋もありますので
島田市へ観光にいらした際は是非このあたりでのんびりと
お散歩してみては如何でしょう。
河川敷側に広々とした駐車場もありますよ。

最後にYouTubeから動画を拝借。


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蓬莱橋
https://www.city.shimada.shizuoka.jp/kanko-docs/horai.html
住所/静岡県島田市南2丁目地先
渡橋時間/終日 
 ※工事の為渡れない時があります。
通行料/大人(中学生以上)100円・小人(小学生)10円
    未就学児と障害者手帳をお持ちの方は無料。
    自転車の通行は100円。
 ※8:30〜17:00までは受付で支払ってください。
 その時間以外は橋の手前にある料金箱へ。

※2021年11月現在の情報です。
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