「藤島神社」は足羽山の中腹に鎮座しています。
御祭神は新田義貞公。150年続いた鎌倉幕府をたったの
15日で滅亡させた人物です。


「新田義貞」についてはこちらのサイトを参考にどうぞ。
https://www.touken-world.jp/tips/7426/
(リンク先は刀剣ワールド)

藤島神社
https://nitta.or.jp/
御祭神/贈正一位 新田義貞公(源朝臣義貞公=新田大明神)
御配祀神/
贈從三位 新田義宗卿(源朝臣義宗卿)
義貞公第三子=家督相続者 贈從三位 脇屋義助卿(源朝臣義助卿)
義貞公弟=脇屋家祖 贈從三位 新田義顯卿(源朝臣義顯卿)
義貞公第一子(嫡男) 贈從三位 新田義興卿(源朝臣義興卿)
義貞公第ニ子
一族郎党殉難將士
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南朝の忠臣新田義貞公は、清和源氏の末流で、
八幡太郎義家から十代目にあたり、代々群馬県の新田郡に居を
構えていたので新田の姓を称した。
義貞公は、元弘三年(1333)に後醍醐天皇の密命を受け、
五月八日に郷里の生品明神で正義の大旗を掲げ鎌倉幕府に
攻め入り、同月二十二日に時の執権北条高時を滅ぼし建武中興
の新政が始まる。しかし建武二年には早くも足利尊氏が謀叛を
起こし南北朝の動乱時代となる。楠木正成公は國湊川で戦死し
形勢不利の中を義貞公は最後まで後醍醐天皇に盡忠報国の誠を
尽くされ、延元元年(1336)再生を期して後醍醐天皇の皇子
恒良、尊良の両親王を奉じて敦賀の金ヶ崎城に籠城したが、
翌年三月に落城する。義貞公は脇屋義助と共に杣山に逃れ、
再起を計る事半年、畑時能や平泉寺宗徒の援助を受け、
延元三年(1338)斯波高経の軍を武生で破り、福井平野で
足利軍と奮戦中閏七月二日に福井の燈明寺畷(新田塚)にて
御年三十八歳で壮烈な戦死を遂げられた。
-----------------------(↓続く)


----------------------------
明暦年間、この地より義貞公の兜が発見され、萬治三年
(1663)時の福井藩主松平光通候が「義貞戦死此所」
と刻んだ石碑を建て、明治三年には一祠を建立し、官幣社の
創建方を建談し、明治九年十一月に別格官幣社藤島神社が
創建された。
しかしこの地は卑湿の地であった為、明治三十四年足羽山
の此の地に奉遷され今日に至っている。
----------------(藤島神社 案内板より)
【野神神社】

野神神社(摂社)
https://nitta.or.jp/yuisho/nogamijinja/
御祭神/後醍醐天皇勾當内侍・藤原氏
(世尊寺流從二位一條非参議經尹卿女)※新田義貞公夫人
社務所に新聞記事が貼られていました。
この摂社は比較的新しいもののようです。

【藤島神社の絵馬】
ハート型のは三色あるらしい(撮ったのはそのうちの2色)。







YouTubeから動画を拝借。
新田義貞公についてわかり易く説明をしている人がいました。
【鎌倉時代】117 新田義貞離反 鎌倉幕府の滅亡【日本史】
【南北朝時代】133 新田義貞の最期 藤島の戦い【日本史】
ちなみに藤島神社では5月22日に「記念祭」が行われます。
5月22日は御祭神である新田義貞公が建武中興の砌、
北條氏の“鎌倉幕府を攻め滅ぼした日”です。
文武両道の神として崇められる新田義貞公を祀る藤島神社、
皆さんも訪れてみては如何でしょう。
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お腹が空いたので「ワイプラザ」へ。
福井に来たらソースカツ丼を食べておかないと…
という事でグルメ館にある「甚右衛門」というお店へ。
客層は主に地元の人で、買い物ついでに食事を済ませていく
といった雰囲気です(実際近所の主婦と思しきかたが席で、
「あら偶然!○○さん、こっちの席おいでよー」みたいに
楽しそうにしていたので)




「福井の名物セット」が美味しそうなのでコレを注文。
ソースカツ丼+越前おろしそば+味噌汁+漬物。

お冷やはルイボスティー。
体に良いし、口の中をスッキリさせるのにも良い。
席にピッチャーごと置いてあるので好きなだけ飲めます。

店員さん:「名物セットお待ちどうさまー」
↓どうでしょう、この欲張りセット。

ソースカツ丼。福井に来たらやっぱコレ。
サクッと揚げたカツを甘いソースにくぐらせ三枚ドン!と。

越前おろしそば。

ボリュームあって完食出来るか心配だったけど大丈夫でした。
たまたまこの時だけだったのかはわかりませんが、
少し足りない点といえば味噌汁が薄かった事くらいかな。
それ以外は全く問題なし。
会計後、どのお客さんにも「お気をつけてお帰りくださーい」
とあたたかい言葉で見送る気づかいが素敵。テキパキと働く
ホールの女性店員さんを見ると応援したくなりますね。
美味しかったです。ご馳走様でした♪

本日紹介したお店はこちら。
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越前そば 甚右衛門 新保店
http://gomokutei-group.com/free/110162/
住所/福井県福井市新保北1-303ワイプラザグルメ館内
電話番号/0776-52-6011
営業時間/11:00~20:30(LO 20:00)
定休日/年中無休
※店舗情報は2022年7月現在のものです。
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【三之宮】(安産の神)

御祭神/栲幡千々比賣尊
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三宮は1597年(慶長2年)に建立されました。現在の建物は
明治22年に改築されたものです。祀られているのは、
栲幡千々姫尊で安産の神様としての信仰があつくお産が軽く
なるというのでお参りの帰りに社務所によって腹帯を買って
帰る方もいます。
また、ここからは泰澄大師が開いたといわれる白山への登山道
となっていて、この道を白山禅定道といいます。
平成8年11月には、歴史の道100選に選定されました。
-------------------(公式サイトより)
【白山禅定道】
三之宮のそばに登拝口がありました。

「熊危険」の注意書きが落っこちていたので引き返す。

参拝を終え、東尋坊屋敷跡の辺りまで戻ってきました。
ここに幾つかの石碑があるので紹介。

【大乗妙典 六十六部日本廻國供養塔】
「天下泰平 日月晴明」と書かれています。

----------------------------
大乗妙典 六十六部日本廻國供養塔
廻國聖により全国66の霊場(平泉寺もその一つ)に、
大乗妙典(法華経)が1部づつ奉納された。
供養塔はその記念に建てられたが破損したため明治23年
(1890)に再建された。
---------------------(説明板より)
【南无阿彌陀佛】

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南无阿彌陀佛
表には南無阿弥陀仏とあり、側面には文政5午年(1822)
2月10日と刻まれ、「第一番 仁空義山」の文字も読み取れる。
義山は平泉寺の坊院の1つ大聖院などの院主と考えられるが、
何の目的で建てられたのかは不明である。
---------------------(説明板より)
【結神社】

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結神社
『越前国名蹟考』の平泉寺村の項に「同年(慶長二)結ノ神ノ
叢祠ヲ立」と見えている。同年(1597)に「三之宮御社」
などとならんで早くから再建された。弘化4年(1847)の
『白山行程記』中の「平泉寺圖」に「結神」が描かれ、
その横手から大野に向かう道がつながっている。
記紀神話における火の神で「かぐつち」、火産霊(ほむすび)
とも表記される。ご神体は2つの隕石と伝えられ、
縁結びの神として信仰を集めている。
---------------------(説明板より)
【常夜灯】

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常夜灯
嘉永4年(1851)に建てられたもので、梅田治右エ門、
柳町助右衛門、原藤蔵の名が刻まれることから施主と考え
られる。作人は大野の石屋久右エ門とある。
以前は毎夜灯りがともされ、灯の傘に石を投げ上手に乗ると
よい嫁がもらえるといわれた。
---------------------(説明板より)
平泉寺白山神社はとても良い神社でした。
景色を楽しみながらゆっくり散策するのにはオススメな場所
かと思います。皆さんも是非一度訪れてみては如何でしょう。
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記功碑(上)と忠魂碑(下)。

苔の絨毯が美しいですね。

「大楠公墓塔」と「三之宮」の方へ。

もう一度拝殿の方向を見て撮影。
侘び寂びを感じる苔、本当に美しいな。

苔の絨毯を眺めながら進んでいきましょう。



【開山社】
御開祖 泰澄大師を祀る。

鳥居をくぐってさらに進みましょう。


【納経所】


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納経所
平安の頃より六十六部といって減罪の経典である法華経を
写経して、その一部づつを日本六十六ヶ所の神社に納めながら
諸国を巡礼したが、とくに江戸時代には盛んに行われた。
越前での納経所は当社だけである。
境内にある結神社の傍には「天下泰平 日月晴明」「大乗妙典
六十六部廻國供養塔」と刻した石碑が今も立っている。
---------------------(案内板より)
三之宮が見えてきました。

三之宮手前に大楠公墓塔があります。

【楠木正成公墓塔】


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楠木正成公墓塔
延元年間(約六百五十年前)の建立
当社は後醍醐天皇の健武の中興に際して、北条氏の一族
を大野郡牛ヶ原に攻め滅ぼすなど、官軍との関係が密接で
あった。古い縁起によると楠木正成公の甥恵秀律師は平泉寺
衆徒の一人で、延喜元年(1336)当社三之宮に参籠している
と夢に大楠公が騎馬姿で現れ、不思議に思っていたが、
やがて大楠公湊川戦死を聞き知るにおよんでそれがまさに
夢見の日とわかり、その場所に五重の石塔を立てて菩提を
弔った、と伝える。周囲の石柵と道は寛文八年(1668)
越前藩主松平光通公の奉納によるものである。
---------------------(案内板より)
★その5に続く。
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ピンぼけてしまいましたが、結婚式をやっていました。


【拝殿】
安政六年(1859)の造営。

平泉寺白山神社
http://heisenji.jp/
御祭神/本社:伊弉冊尊
別山社:天忍穂耳尊
越南知社:大己貴尊(大国主命)
----------------------------
当社は白山の開祖・泰澄大師の創建にかかる。
大師は白山登拝の途中林泉(今の御手洗池)を発見され、
そこで白山の神の託宣をうけられ、当地が神明遊止の聖地
なのを知り、社を建てて、白山の神を奉斎されたのに始まる。
白山信仰の中心地で、古くは白山平泉寺と呼ばれ、後世一般に
平泉寺の名で知られたため寺院であるかのように思われて
きたが本来神社である。
平安時代以降白山登拝の拠点である白山三馬場の一つとして
隆盛を極めた。鎌倉時代の初め、兄頼朝に追われた源義経が
奥州平泉に落ち延びる途中当社に詣でたことが『義経記』に
見え、鎌倉末の後醍醐天皇による鎌倉幕府打倒に呼応して
当社の僧兵が大野郡牛ヶ原の地頭を攻め滅ぼしたことも
『太平記』に見え著名なことである。
-----------------------(続く↓)

----------------------------
中世の最盛期には社領九万石、四十八社・三十六堂・
六千坊とうたわれ、戦国時代には一乗谷の朝倉氏とともに
越前における一大勢力であった。平泉寺出身の三光坊は
能面師の祖と仰がれている。このような当社であったが、
惜しくも天正二年(1574)折から係争中の一向一揆のため
放火せられ全山一時に灰燼に帰した。その後約十年にして
再興せられ、豊臣秀吉をはじめ江戸時代に入ると越前藩主
松平家の篤い崇敬をうけ、やがて明治維新に際し政府の
神佛分離令により長年の神佛習合の姿を脱し、
本来の白山社に復し今日に至っている。
---------------------(案内板より)
拝殿の背後。
石垣の上には御本社・越南知社・別山社があります。
この三社は白山神社の御本殿です。


【御本社】
中央に鎮座するお社。御祭神は伊弉冊尊。


----------------------------
御本社 寛政七年(1795)の造営。
御祭神 伊弉冊尊。現社殿は越前藩主松平重富公による
再建で総欅の入母屋榑葺。昇り竜・下り竜の丸彫、
壁面の浮彫などの彫刻も秀逸で、奥越には珍しい華麗な
建築である。
御本社を中心に右に別山社、左に越南知社を配するのは、
白山山頂の三山のそれぞれの神を祀っているからであり、
このように白山三社の神々を勧進することは当社創建以来
の姿と思われる。今は失われているが、中世から近世には、
さらに金剱社と加宝社が加えられ、五社が整然と立ち並ぶ
さまは壮観であったと思われる。
---------------------(案内板より)
【越南知社】
御本社に向かって左側。御祭神は大己貴尊(大国主命)。

【別山社】
御本社に向かって右側。御祭神は天忍穂耳尊。

★その4に続く。
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参道を歩いていくと右手側に境内社「八幡神社」が。

その逆、左手側に「御手洗池」。
夢か幻か…神秘的かつ幻想的な雰囲気に溜息が出ます。
平泉寺白山神社は、ここが無ければはじまりませんでした。



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御手洗池
泰澄大師は養老元年(717)白山登拝の途中この林泉を発見
され、大師の祈念に応じて泉の中の影向石に白山の大神が
出現され、「神明遊止の地なり」とのお告げがあったため、
当地に社を建てて白山の神を奉斎されたと伝える。
当社発祥の地であり、「平泉寺」や「平清水」(平安時代の
呼称の一つ)の名の由来はここにある。神泉は今もって
絶えることなく湧き出ている。
池の東(御本社寄り)に聳ゆる三又杉はこの時大師が
植えられたものと伝え、一千二百数十年を経て健在であり、
幹は途中から三本に分かれ白山三社をかたどる形となって
いる。当社のご神木であり注連縄が張られている。
---------------------(案内板より)
【三又杉】
ちなみにこの神社の神紋は「丸に三本杉」です。




三又杉と御手洗池を高い場所から見る。

石段上にある木のウロに神様が祀られていました。


参道に戻り進みましょう。
二の鳥居が見えて参りました。

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二の鳥居
この鳥居は権現造といい、鳥居の中央に屋根がついている
神仏習合の時代の独特なものです。
おそらく日本にはここにしかないと思われます。当時の鳥居は
一向一揆で消滅しましたが、1778年(安永6年)に再建された
ものです。白山三所大権現の大額は、中御門天皇の皇子天台座
主公遵法親王がおかきになられたものです。
三所とは白山の御前峰、大汝、別山を言います。
-------------------(公式サイトより)
二の鳥居をくぐって中へ。
カメラを左から右に向けてみる。



下の写真、手前のお社は「池尾神社」。


下の写真向かって左が「貴船神社」。
中央赤いお社は「今宮神社」。
向かって右の小さなお社は「鎮守宮」。

拝殿の方へ向かいましょう。

★その3に続く。
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