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2023年03月01日 (水) | 編集 |
2023.2.27 探訪 
浜通りへ向かいます。新川橋のすぐ側にある石碑には、
「贈従四位小泉八雲先生風詠之地」と刻まれている。
石碑は1925(大正14)年5月、当時の焼津青年団が大正天皇の
銀婚式を記念し、町役場前の旧東小学校玄関脇に建てたもの。
1984(昭和59)年に現在の場所に移されました。

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浜通りには今も古い建物が残されています。
下の写真は旧服部邸「帆や」。詳細→ https://niwayado.com/

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浜通り(八雲通り)
カツオの水揚げ量が全国一位を誇る焼津漁港とサバの漁業基地
として知られる小川漁港を結ぶように南北に走る約1.5kmの
街道と、この道路に沿って家並みが続く細長い集落を
土地の人々は昔から「浜通り」と呼んでいる。
二つの漁港に挟まれた浜通りには漁師や船元、魚を販売・加工
する“さかなや”が集中し、海とともに暮らしてきた焼津市民の
古巣といえる。
焼津カツオ・マグロ漁とサバ漁の集散地として、
また水産加工業の発祥の地として「水産都市焼津」の名声を
全国に知らしめた原点がここにある。
新しい焼津漁港と堤防、オーシャン道路が整備されるまでは
「浜通り」の東側は海岸に接し、昭和三十年代までは暴風雨に
よる荒波が家々までに襲いかかることがしばしばあった。
そのため強風を避けるために住宅の屋根を低く傾斜を緩やかに
したり、高潮対策としての波除け堰や排水装置(土地の傾斜、
排水小路)など工夫が凝らされ、その名残りが今もそこかしこ
に見られる。


---------------------(案内板より)

私が小学生の頃の遠い記憶ですが、
昔はこんな感じの建物が今よりもっと建っていました。
当時同級生の友達のお家もこんな造りの家で、玄関から奥の方
まで排水をするための長い土間が続いていた事をよく憶えて
います。焼津市に多い苗字ですが村松さんという子。
元気にしてるかな?

下の写真、向かって左手側は「小石商店」。
右手側のお店はダシ専門店の「焼津善八 マルハチ村松」。
小石商店はイカの原料不足でお休みしているみたい。

20230227_焼津市_浜通り_006

【焼津弁の話】少し話はズレますが…
聞いた話によると、ずーっと昔の浜通りの人たちの焼津弁は、
海から離れた場所に住む人たちよりも方言が強かったらしい。
焼津弁は「浜言葉」って言うんですけどね、漁師町だけあって
多少言葉は荒っぽいかも知れないけど大事にしていきたいな。

★関連過去ログ:静岡弁・焼津弁
http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-3611.html


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