2023.3.6 参拝
焼津市石脇にある徳川家康ゆかりの地。
前々から気になっていた史跡。生まれ育った地元にあるのに
一度も訪れた事が無かったので行ってみた。
公園のある静かな住宅地の一角に巨大な岩が二つどどん!
旗掛石の前にある道は、奈良時代には国道となっていたそう。

写真からあまり大きさが伝わりづらくて申し訳ない。
「石」とつくと小さなものを想像してしまいがちですが、
実際目にするとデカいです。

----------------------------
旗掛石
当時、岩の近くに原川新三郎氏の門前があり、
家康が天下を取ってからしばしこのあたりで鷹狩を催し、
そのつど原川家を訪ね、その際家康の旗を立て掛け、
馬の鞍を置いたのでこの名があるという。
他にやきつべの小径、駒つなぎの松の名跡がある。
又、氏子達で年二回大しめ飾りが行われる。
--------------(浅間神社案内石碑より抜粋)
説明にある原川家の屋敷はとても広く、外門から中門を通り
家の裏まで500mもあったと言われているそうな。
下の写真は神社の石段から撮影した旗掛石。
上から見るとこんな感じになります。本当デカいね。
因みに「石脇」の地名は、この旗掛石に由来しています。
(焼津市石脇には「石脇上」「石脇下」がある)

続いて旗掛け石の横に鎮座する浅間神社へお参り。
石脇の浅間さんは小さな神社です。



石脇浅間神社
御祭神/木花咲耶姫命・品陀和気命・天照大御神
----------------------------
由緒
浅間神社登り口右側に大きな岩が二つある。
旗掛石又は鞍掛石という。
本来この二つの岩は、戦国の古い信仰である神の依りつかれる
磐座(いわくら)であった。この浅間神社は、延徳三年九月
天下の英雄徳川の三河時代からの家臣であった原川新三郎氏が
郷里原川村から浅間社を勧請してこの聖地の側に奉賽したもの
と伝えられ、明治八年二月村社に、同四十年三月神饌幣帛料
供進社に指定された。旧除地高は二石であった。
災害
昭和五十七年九月十二日本県を直撃した台風十八号により
境内の南側階段等倒壊し多大の被害を蒙るも四百六十四名の
氏子一丸となって懸命な努力を続け復旧に直進し
同年十月吉日大鳥居を再建した。
--------------(浅間神社案内石碑より抜粋)
下の写真は浅間神社の本殿横に鎮座する
「社宮司」と「津島神社」。

【社宮司】


境内にある記念碑。
昭和の時代、台風被害に見舞われ被害に遭った神社を再建。
その記念としてたてられたもの。

----------------------------
此の神社は、延徳三年五月(約五百年前)此の地に祭られた
歴史をもつが昭和五十七年十八号台風の強襲に依って
標高十七米の神社境内地が大きく崩壊し、
明治二十七年氏子の建設した拝殿等床下倒壊の危険にさらされ
氏子一同苦慮していた所、時の区長総代等相図り浅間神社再建
奉賛会を設立し昭和五十八年十月十日第一回総会を開催
氏子一同の賛同を得て発足した。
奉賛会は総会以来満二ヶ年を予定し境内高を五米に造成拡充
し拝殿新築、その他諸施設等完備、昭和六十年十月二十日完成。
落成式を挙行し且つ氏子総代に一切の管理を移管。
茲に氏子の家運並びに子孫繁栄と共に地域発展を祈願して
之を建立す。
-------------------(記念碑より抜粋)
【おまけ】
石脇探訪絵図なる案内板がありました。
ハイキングが好きな人はここから高草山頂上を目指してみては
如何でしょう。標高501メートルの低いお山です。
高草の中腹にある笛吹段公園もオススメ。


このあと「青木の森 青木神社跡」へ。
→http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-4426.html
★関連過去ログ:
笛吹段公園(高草山)
http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-3637.html
カラッと晴れたお昼頃や夜景の見れる夜に行くと良いですよ。
※山道は狭いので車で行く時は要注意。
ブログに訪問ありがとう。
応援拍手をポチッといただけると更新の励みになります。