去年参拝に行った神社を紹介。
レポートの進行遅いですがゆるゆると行きましょう。
大阪府にあります石切劔箭神社は、通称「石切さん」と呼ばれる
とても有名な神社。私が神社へ向かっていてビックリしたのが、
参道にあるお店に占い屋さんが軒を連ねていたこと。
写真に収めた所はそんなに凄くない地帯ですが、もっとディープ
な場所もあったような気がします。珍スポットが大好きな人には
たまらん参道かと思いますが、この辺はマニアさんに任せよう。

鳥居をくぐる前に『絵馬殿』を見に行きましょう。
絵馬殿の屋根に見える剣と矢は『布都御魂劔』『天羽々矢』
かと思われます。


絵馬殿の中に二体の像がありますが、このかた達は誰かというと
石切さんの御祭神『石切大明神(饒速日尊と可美真手命)』。
細かく説明していくと長くなるので、神社の公式サイトにある
神話のページを貼っておきますね。
http://www.ishikiri.or.jp/yuisyo/mythology/
ちなみに、弓矢を手にしているのが饒速日尊、
剣を手にしているのが可美真手命です。
さて、絵馬殿を拝見したあとは参拝に行きましょうー。
下の写真は『三之鳥居』。参拝者の向こうに幕がしてあるのは、
この時、石畳の改修工事が行われていたためです。中央に人が
集まっていますが、これはお百度参りをしている人たちです。

石切劔箭神社の尊称は、
「強固な岩をも切り裂き、貫くほど偉大な様」を表しています。
そしてこの神社は別名「でんぼの神さん」として知られており
(でんぼ=関西弁で「腫れ物」を意味している)、
腫れ物を治す神様としても有名。でんぼは本来「伝法」であり、
古くから、社家である木積家に伝わる禁厭の秘法を指していると
言われています。

石切劔箭神社
御祭神:饒速日尊、可美真手命(石切大明神)
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石切劔箭神社御鎮座の由緒につきましては、今からおよそ
七百年前、足利時代の末に兵火にかかり、社殿及び宝庫が悉く
消失したため詳らかではありません。しかしながら、
延長五年(927年)に編纂された『延喜式神名帳』の中には、
既に「石切劔箭命神社二座」と記載されており、また延喜元年
(901年)に成立した『日本三大実録』には貞観七年九月に、
本社の社格が正六位から従五位に昇格されたことが記されて
おります。
また、天文五年(1536年)に当神社社家の祖先藤原行春大人が
社家に伝わる口伝をまとめた『遺書伝来記』によれば、
神武天皇紀元二年、現生駒山中の宮山に饒速日尊を奉斎申し上
げたのをもって神社の起源とし、崇神天皇の御代になって
「下之社(現本社)」に可美真手命が祀られたとあります。
爾来、悠久の歴史を通じて、朝夕御皇室の御安泰と日本国の
隆盛、並びに氏子崇敬者の無事繁栄を御祈申し上げ、
祭祀を継承し続けて今日に及んでおります。
---------------(石切劔箭神社 参拝の栞より)
★その2に続きます。
→ http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-1138.html
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