続いては『河邊神社』へ向かいます。
ここはただ、何となく参拝に立ち寄ってみたところ。
一緒にいた旦那がすぐ足元に気付いたんですが、
神社のそばにあったマンホールの絵が可愛かったのでまずは一枚。
誰もあまり見ないだろうけれど、こういう所に注目してみると
地方ローカルなものに出会えたりして面白いw
「マンホール」「マンホールの蓋」と検索するとマニアックな
世界に出会えちゃったりするかも。

河邊神社
http://www.unnan-kankou.jp/contents/orochi/17
御祭神:久志伊奈太美等與麻奴良比賣命(奇稲田媛命)
配祀:清之湯山主三名狭漏彦八島篠命(スサノオとクシナダの御子)
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当社は、延喜式神名帳及び出雲風土記所載の式内社としての
古社である。奇稲田媛命、御子を生みまさむと此の處に至りて
「いと久麻久麻しき谷なり」と宮居し給うと、天平五年(733)
の古文書にあり、往時が偲ばれる。当時は、下熊谷の境の
烏帽子山の麓、字松林の地に鎮座せしも後に中央の舟津の現在地
に移転している。(嘉祥四年(851)に神階六位上に叙せられ、
明治五年に村社に列せられた)
往時は、境内二十五間四方本殿より鳥居までの参道の長さ
約六十四間(115米)あったが、明治六年の洪水により境内流出
堤防構築等により、風致大いに変わった。明治三十八年上熊谷
地区に鎮座せる正八幡宮、海原神社を当地に合祀、明治四十四年
に並列的に建てられていた三神社を現在の相殿として。その後、
老朽化し、昭和四十二年十一月遷宮を執行し今日に至っている。
----------------(河邉神社 境内案内板より)

出雲国風土記の『飯石(いひし)の郡』に書かれてあります。
クシナダが妊娠をしてお産をするときになり、
産所を探しここまでやって来ました。そしてみことのりをし、
「ここは大層久麻久麻しい谷(隠れ篭った谷)なり」と喜んで
仰せられ、この場所を御産所とされたのです。今でも産湯に使う
水を取ったとされる井戸の事を「熊谷さん」と呼ぶそうで、
地名のいわれにもなっています。

神社の御由緒を読むと元々神社があった場所は、
「下熊谷の境の烏帽子山の麓」…と書かれていますね。
どの辺になるのかはわかりませんが、熊谷さんと言われる井戸って
まだ残されているのでしょうか。場所がわかれば元あった場所へも
行ってみたかったです。(記事:©SERUNA)
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