静岡県焼津市にあります『焼津神社』を紹介します。
綺麗な桜が咲いておりましたので、この景色を皆に見せたいなと。
昨日、お天気が良かった時間にお参りをしました。
私の氏神様の神社を紹介しつつ桜の花でも…

こちらは満開…というかもう少しづつ散り始めてしまっています。
桜の花びらがはらはら舞っていました。

焼津神社
http://shizuoka-jinjacho.or.jp/shokai/jinja.php?id=4407001
御祭神:日本武尊
相殿:吉備武彦尊、大伴武日連命、七束脛命
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当社は記紀所載の如く、第十二代景行天皇四十年七月、
日本武尊が弟橘姫を伴い、吉備武彦、大伴武日連の武将を従え、
七束脛を膳夫として東夷御征討の砌、此地で野火の難に逢われた
際、天叢雲の剣で草を薙ぎ、向火を放って、悉く賊徒を打滅
されたという御事蹟を伝える御社で、延喜式神明帳登載の
駿河国益津群焼津神社は、即ち当社である。
駿河国諸群神階帳によれば、神階正四位以下に叙せられ、
入江大明神とも称えられて諸民衆から崇敬されて来た。
創建は、駿河国風土記によれば、反正天皇四年巳酉
(西暦409年)と云われ今川氏の代になって社領五百石の寄進
をうけ、徳川氏に至り、家康は社殿を造営し、又代々七十石の
朱印高が附せられている。
--------------(焼津神社略記 より一部抜粋)
写真は神社の拝殿。昔は屋根が緑色だったんですけどね。

ここの御祭神は、日本武尊。
古事記、日本書紀どちらにも彼の物語が書かれています。
私が子供の頃(小学生時代)には『焼津』という地名がどうして
付けられているのかを、ヤマトタケルの物語と共に学校で教えて
もらったもので、自分の中で彼はちょっとしたヒーローでした。
(というか今でもそう思ってます)
最近はヤマトタケルのお話を教える学校は少ないみたいで、
焼津と彼との関係を知らない子供が多く、地元焼津神社の御祭神
がどんな人なのかもわからないという子供がいるようです。
地元に伝わる物語を、ちゃんと教える人間がいないってのは、
悲しい事だよね。誰かが伝えて行かなくちゃダメだよ。
……そんな愚痴は置いといて。

境内にある日本武尊の石像。彼は30歳で亡くなっているんですが、
焼津のエピソードの時にはもっと若かったんじゃないだろうか。
石像のお顔がオッサンっぽくて、焼津神社に参拝に来てこの像を
見るたびにいつもションボリしてしまう。なんつーかもっとこう
雄々しくてカッコいい像がいいのにw(ぉぃ)

上の写真は手水舎のすぐそば。

この像は『神武天皇』です。近所のおばさんが、
ずっとヤマトタケルの像だとばかり思い込んでいたっぽいw
焼津と神武天皇は一切繋がりが無いのですが、何でここ焼津神社に
縁もゆかりも無い神武天皇の像があるのかというお話をひとつ。
焼津には『神武通り商店街』という所があるのですが、
これは現在の防災コミュニティセンターにこの像が建立されていた
事に始まります。本当は、焼津にゆかりのある日本武尊の像が建立
される筈だったのに何の手違いかやってきたのは神武天皇の像。
(商店街の名前もこのせいで『神武通り』にw)
のちにその神武天皇の像がここ、焼津神社に奉納されたという歴史
があるのです。たぶん予定通り日本武尊の像が建立されていたら、
商店街の名前も今と違っていたかも知れませんね。ちゃんとした
ヤマトタケルの像も作って置いちゃえば良かったのにw
(記事:©SERUNA)
★その2に続く。
→ http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-132.html
※2022年5月 記事再更新:
神武通りの歴史と焼津神社の神武天皇像について。
http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-4036.html
↑経緯について詳しい話がわかりました。
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