去年のレポートですが宜しければ暫しのお付き合いを。
富山側から新潟県糸魚川市へ向かう時に『親不知』と言われる
場所を通って行きました。この名前を聞くと、中学生がよく合唱
で歌う「あの定番曲」を思い浮かべる人が多いと思われますが、
そうです、その通りの場所でございますw
『親知らず子知らず』
次のクラスが明かるい曲で行きづらい、合唱コンクールの鬱曲。
中学生の頃、この曲の舞台になった場所があるという事は、
何となく知識としてあって、一体どんな場所なんだろうとずっと
気にはなっていたのですが…まさか大人になってからその場所に
訪れる事になるとはね。(´∀ `;)

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名勝・天下の険「親不知」は、
かつて北陸最大の難所と呼ばれました。断崖絶壁と日本海の荒波
が旅人の行く手を阻み、わずかな波打ち際を駆け抜ける際に親は
子を忘れ、子は親をかえりみるいとまがなかったことから
「親知らず・子知らず」と呼ばれるようになったと伝えられて
います。また一説には、源平盛衰の昔、平清盛の弟・頼盛が越後
五百刈村へ退隠。夫を慕って越後へ向かった夫人がこの地を通り
かかり、誤って二歳の愛児を波にさらわれてしまいました。
親知らず 子はこの浦の波まくら
越路の磯のあわと消えゆく
夫人が悲嘆にくれて詠んだこの歌が「親不知」という名の由来に
なったともいわれています。人と自然との壮絶なドラマを数多く
残してきた親不知。日本海に沈む美しい夕日を、かつての旅人
たちは、どんな思いで眺めたのでしょう。
その圧倒的な自然美は、今も昔も多くの人を惹きつけます。
------------(親不知ジオサイト 案内チラシより)

さて、私たちが降りて景色を楽しんだのは『親不知記念広場』。
国道8号の一次改良の完成を記念して作られた広場で、親不知では
この展望台からの眺めが一番だと言われているそうです。

この展望台があるあたりには、
『風波の海賊』と言われるお話が残されています。
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その昔、風波川の河口に海賊が住んでいて旅人を困らせて
いましたが、ある時自分の娘を旅人と間違えて殺してしまい、
罪の恐ろしさに四国巡礼に出たまま行方がわからなくなったと
いう伝説があります。
------------(親不知ジオサイト 案内チラシより)
(=゚ω゚)「自業自得だな」
SERUNA:「因果応報、身から出た錆やね」
この他にも親不知には色々ないわれがある場所があります。
気になる人は各自で検索して調べてみましょう。
お地蔵さんも立っているそうですよ。
展望台から眺めた向こうの方は、私たちがやってきた富山方面。
今のような便利な道路は通っていなかった時代、ずっと昔の人は
随分と大変な思いをしながら断崖絶壁の親不知を越えて来たん
ですね。

このあたりに『勝山城址』という所もあるらしいが、
山登りする時間も無いので今回はスルー。
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親不知
http://www.itoigawa-base.com/viewspot/view_02_02.html
新潟県糸魚川市市振〜青海間
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【余談です】
実は我が故郷である静岡県にも「東海の親不知」といわれる所が
あるのですよねー。由比もそうですが焼津にもあります。
★親不知ピアパークの記事に続く。
→ http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-1401.html
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