まだその1を読んでいない人はこちらからご覧ください。
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【茶亭跡】

下の写真右手側が、茶亭があった場所のようです。

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慶長五年(1600)掛川城主山内一豊は、境内に茶亭を設けて、
大阪から会津の上杉景勝攻めに向かう徳川家康をもてなした。
関ヶ原の合戦の後、山内一豊は功績を認められ、
土佐二十万石に栄転した。
----------------(久延寺 境内案内板より)
【徳川家康公御手植五葉松】

二代目の松があるはずですが…なんだかよくわからなかった。

久延寺を訪れた印象としては、人がいる気配が全くしなくて、
申し訳ないけれど綺麗な状態を保っているようには見えなかった。
お庭もちょっと荒れかけているような感じで…
(写真はなるべく綺麗に写るように努力したんですがw)
歴史あるお寺のようですが、この状態は勿体無いッスね。
……さて、お寺の外に出ました。
寺の前の少し広くなった場所に『接待茶屋跡』があります。

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鎌倉時代・永仁年間(1300年頃)から旅人の求めに応じて
茶等を接待し、旅人の憩いの場となっていたといわれる。
芭蕉の「馬にねて残夢月遠し茶のけむり」の句もこの辺りで
詠まれたものであろう。
---------------------(案内板より)
【東海便覧図略】

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天明六年(1786)に尾張藩士高力種信が東海道の風物を
描いたものの一枚である。久延寺とその西に並ぶ飴屋などが
描かれていて、当時の風景を知ることができる
------------(久延寺 境内案内板より一部抜粋)
東海便覧図略と同じ方向にカメラを向けるとこんな感じ。
写真右手側に接待茶屋跡。奥に向かって左の方向に
道が続きます。

寺の隣には『扇屋』という飴屋さんがあります。
小泉屋と同じ子育飴が作られていますが、
宝永年間創業扇屋の子育飴が元祖のようです。
(砂糖を使わず、昔からの製法で大麦ともち米のみで作られている)


土日祝日のみ営業しているようです。

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