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『山ノ神』

境内にはこんな祠があります。

『青木神社』


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須藤左門命と青木神社について
戦国時代末期、駿河(静岡)の地では、
たびたび武田と徳川との合戦が繰り返されていました。
天正9年(1581)5月5日、浜当目の殿山の尾根先にあたる
青木の森(現在のサッポロビール静岡工場あたり)付近で、
用宗(持舟)城にいる武田勢と徳川勢とで争いがおこりました。
上州(群馬県)碓井郡から武田勢の味方として加わっていた
須藤左門も、この争いに入っていました。
言い伝えによれば、武将として名高い須藤左門は次々と
徳川勢を打倒し、徳川勢のひとりである石川という武将と槍を
あわせました。このとき、この石川という武将は初陣(初めて
の戦い)で若者であるため、須藤左門は勝てるはずもなく、
あっさりと組み敷かれてしまいました。須藤左門は石川の首を
とろうとしましたが、石川のあまりの若さと故郷に残した
息子たちの顔が重なり、そのまま引き返そうとして背を向けた
その時、後ろから討たれて命を落としたといわれています。
須藤左門を討ち取ったという手柄から、石川家は将軍直属の
家臣で直々に会うことのできる旗本という身分にまで
とりたてられました。その後代々石川家は繁栄しましたが、
何代か後の石川家の主が、駿府城に行くたびに急死をするので、
須藤左門の怒りを鎮めるため石祠(石のほこら)を造り、
青木の森に祀って浜当目の人たちとともに、ねんごろにお祭り
を行いました。時に宝暦4年(1754)1月29日のことでした。
-----------------(青木神社 説明文より)

★2023年記事再更新:
青木神社の祠が元々あった場所についてはこちら。
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