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2017年01月08日 (日) | 編集 |
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『山ノ神』
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境内にはこんな祠があります。

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『青木神社』
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須藤左門命と青木神社について

 戦国時代末期、駿河(静岡)の地では、たびたび武田と徳川との
合戦が繰り返されていました。天正9年(1581)5月5日、
浜当目の殿山の尾根先にあたる青木の森(現在のサッポロビール静岡
工場あたり)付近で、用宗(持舟)城にいる武田勢と徳川勢とで
争いがおこりました。上州(群馬県)碓井郡から武田勢の味方として
加わっていた須藤左門も、この争いに入っていました。
 言い伝えによれば、武将として名高い須藤左門は次々と徳川勢を
打倒し、徳川勢のひとりである石川という武将と槍をあわせました。
このとき、この石川という武将は初陣(初めての戦い)で若者である
ため、須藤左門は勝てるはずもなく、あっさりと組み敷かれてしまい
ました。須藤左門は石川の首をとろうとしましたが、
石川のあまりの若さと故郷に残した息子たちの顔が重なり、そのまま
引き返そうとして背を向けたその時、後ろから討たれて命を落とした
といわれています。
 須藤左門を討ち取ったという手柄から、石川家は将軍直属の家臣で
直々に会うことのできる旗本という身分にまでとりたてられました。
その後代々石川家は繁栄しましたが、何代か後の石川家の主が、
駿府城に行くたびに急死をするので、須藤左門の怒りを鎮めるため
石祠(石のほこら)を造り、青木の森に祀って浜当目の人たちと
ともに、ねんごろにお祭りを行いました。時に宝暦4年(1754)
1月29日のことでした。

--------------------(青木神社 説明文より)

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