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2014年04月15日 (火) | 編集 |
2014.4.12探訪
ウチの旦那が「掛川の首塚が気になる」って言うんで、
学生時代に歴史の成績全然ダメだった私も一緒に行ってみた。
このテの首塚ってあちこちにあるけれど、実は掛川にもあるんですよね。
平将門とその家臣の塚が立てられているという場所です。

( ゚д゚) 「……………………」

ちょっと待て!
平将門と言ったら祟り神じゃないかっ!w


─そんなわけで、やってきました『十九首塚』。
20140412_首塚_001
※真ん中の大きなものが平将門です。

--------------------------------
 ここは「平将門」の首級を祀る十九首塚です。
人皇六十一代朱雀天皇の御代、関東下総の国(茨城県)相馬郡猿島に、
桓武天皇の五代の孫で、相馬小太郎将門という武将がおりました。
 承平五年(西暦935年)、一族の内訌を契機として、将門は、
常陸を始め関東一円を占拠、自ら新皇と称し律令国家に対抗する国家を
企てた。この叛乱に、朝廷から大規模な将門征討が興味され、平貞盛、
藤原秀郷らにより、将門は天慶三年(西暦940年)2月14日滅ぼされ
ました(天慶の乱)。

秀郷は将門をはじめ一門の家臣十九人の首級を持って京に上る途中
掛川の宿まで来ました。一方、京からは検視の勅使が派遣されこの地
(現在の十九首町)の小川(東光寺南 血洗川)で首を洗い、橋に架け
検視を受けました。首実検の後、秀郷は「将門は逆臣なりとも、
名門の出である。その罪重しといえども、今や滅びて亡し。その死屍に
鞭打つは礼に非ず。」と十九の首を別々に埋葬し、懇ろに供養しました。
時は天慶三年8月15日でありました。

 この後、歳月の流れと土地開発等の為、移動し現在地に移りました。
ここ十九首塚には、葬られた十九人の詳細な名前が残されています。
地名の由来も十九の首塚があったところから十九首町と呼ぶように
なりました。町民は、首塚を町の守り神として春秋二季の彼岸と
8月15日の命日には供養祭を行い、今日まで続いております。


-------------------ー(十九首塚 案内板より)

『東光寺』というお寺の裏手にあります。
キチンと綺麗に整備されていて、近所の人々の憩いの場のように
なっていました。大事なことだからもう一度言いますが、
首塚がある場所だけど憩いの場です。恐らくこの辺の住民であろう
お婆ちゃんと孫が、広場に敷かれた石の足つぼマッサージ場で
のんびり踏み踏みしてたよww

20140412_首塚_002

「空・風・火・水・地」と掘られています。

五大思想に基づく五重塔
http://heianart.com/matsuo/gorinto.html
↑仏教に関しては詳しく無いので、ここを参考にしてみて下さい。

旦那:“パンパンッ!”
気付くと柏手を打って丁寧に神道式のお参りをしている。
SERUNA:「( ゚д゚) あれっ?ココって仏式じゃないの?」
旦那:「平将門って神の扱いだからいいんだよ (`・ω・´)b」
SERUNA:「でもこれ、塚って言っても墓だよね?」
旦那:「……………ホントだ、線香が立ててある」
SERUNA:「じゃあ柏手いらないよねww」

おまけに塚が仏式なら多分、仏教だろうねw
※上記リンク参照


〜掛川の地名の由来について〜

一般的な『掛川』の地名については、
「曲がりくねった逆川に懸崖が多いという地勢を表したもので、
『崖川』『欠川』と呼ばれたことから起こった」とされています。

しかしこの地名にもうひとつの由来があるのをご存知でしょうか。
そう、十九首塚から由来したものです。

ここで先ほどの物語をもう一度読み返してみましょう。
東光寺の南側の小川で首を洗い(この事からこの川は「血流川」
と言われるようになった)、橋に首をかけて検視を行った。
川の所で首をかけたから『懸川』→字が改められ『掛川』。
(((;゚Д゚)))))

信じるか信じないかは(以下略)

どうでもいいけれど「将門の首が飛んで…」の伝説は、
誰かが首を持ち運んで移動させていたという解釈で良いのかな?
私はそう思っているけれど。(記事:©SERUNA)

★2017.3追記
大河ドラマ『おんな城主 直虎』でこのページに来られた方へ。
掛川市のページに、十九首塚と井伊直親について書かれている
ものがありましたので最後に貼っておきますね。
http://www.city.kakegawa.shizuoka.jp/sunkan/sunkan600.html


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コメント
この記事へのコメント
No title
 飛んで帰ったんですぅ~~。
 私はそう思いたい・・・・・。
 国引きのように。
 でないと、「帝都物語」が色褪せてしまう・・・・。あれ、大好きだったんですよ。
 と言っても外伝、の何冊かは読んでないんですけど。

 「堤が切れやすいから欠け川」より、「崖が多いから崖川」の方が感じは良いですね。
2014/04/15(Tue) 16:25 | URL  | 再起(せき)SR400 #-[ 編集]
Re: 再起さん
こんにちは、いらっしゃいませ。
いつもコメントありがとうございますー♪

>あれ、大好きだったんですよ。

そんな再起さんのために動画を貼ってみるww
この作品、いまリメイクして作ったらどうなるんだろう。
http://youtube.com/watch?v=sYgiZqiopSE

そういえば平将門と東京っていうと、首塚に、神社やお寺の位置、魔法陣と…
都市伝説と言うかオカルト的なものがあるみたいですね。
私は否定派では無いので、不思議な事があっても面白いなぁと思っていますよ♪
陰陽師的な物も大好物ですからね。( ´ ∀ ` )ノ
2014/04/15(Tue) 17:24 | URL  | SERUNA★静岡 #-[ 編集]
No title
 ありがとうございます。
 なつかしいものを見ることが出来ました。
 まさか「暗黒神話」のアニメまで見られるなんて。

 江戸の町も都と同じく龍脈がどうとかいう話を読んだことがあります。
 魔方陣よりも風水の方が先に来るんじゃないでしょうかねえ。

 祟り神ということで崇徳天皇や平将門のことを懼れますが、本来神は「人智を超えた働きをする何か」、ですから、それを畏み敬うのは当たり前のこと。
 崇徳天皇も将門も、勿論菅原道真も、何かに執着して亡くなったということは、そのことに関してとても気にかけ続けて下さっているということでしょう。
 ということは祟り神どころか、国の守護神そのもの、という見方もできますよね。
 だから帝都物語で、結局は将門の一面である加藤が将門の前で封じ込められていくのは、将門の両面が揃うことで鎮まる、ピッコロ大王と神様みたいなものかも。
2014/04/15(Tue) 22:24 | URL  | 再起(せき)SR400 #-[ 編集]
Re: 再起さん
こんばんは。再びコメントありがとですー♪

龍脈というキーワードを聞くと、なぜだかふと福井の九頭竜湖や、
箱根の九頭龍神社を思い浮かべてしまう。風水は自然のサイクルそのものですから
大陸からやってきたものとはいえ古来からある日本の神道とも相性が良い感じがします。

>祟り神どころか、国の守護神そのもの、という見方もできますよね。

ですね。何となくわかります。現に十九首塚はこの辺りの町の守り神として、
皆に大事にされているようですからね♪ ( ´ ∀ ` )

あ、そういえば広場の片隅にノートが置いてありまして…
皆さんどこからやって来たか、住所や氏名などが書かれていたんですけれど、
中には随分遠くからやってきた人もいましたよ。将門の信仰は凄いもんだなぁ
ってそれ見て思いました。
2014/04/15(Tue) 23:14 | URL  | SERUNA★静岡 #-[ 編集]
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