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定食屋さんに訪れるような感覚で見て戴けたら嬉しいです。中身は趣味のネタ色々、たまに飯テロ。ヲタクなネタから神社めぐりまで。お好きな記事をブログカテゴリからお選び下さい。
2017年05月29日 (月) | 編集 |
2016.5.15 参拝 
※記事は去年参拝した記録です。

今回紹介するのは滋賀県の『兵主大社』。
鳥居の側に黄菖蒲の花咲く時期に行って参りました。
ちなみに、黄菖蒲の花言葉は「幸せを掴む」
「信じるものの幸福」…だそうです。

20160515_兵主大社_002

20160515_兵主大社_001

下の写真は兵主大社の『楼門』。

20160515_兵主大社_003

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県指定有形文化財 兵主大社楼門
    一間一戸楼門、人母屋造、檜皮葺
    附 翼廊 二棟  昭和四十一年七月四日指定
 昭和四十五年解体修理時に地垂木から天文十九年(1550)
の墨書を発見し、建立年代が明らかになった。下層の亀甲紋や
巴紋のついた蔓股には明和三年(1766)の墨書があって、
この時は殆どの部材を取替える大修理で、下層隅虹梁上の
板蔓股以外の絵様彫刻は江戸後期の様式に変えられている。
その後も度々屋根葺替が行われ、明治二十二年には両翼廊が
再び大修理を受け、屋根が桟瓦葺に改められた。
後世の取替材が多数を占めているが、当初の部材も各所に残り、
全国的に遺構の少ない一間一戸の楼門として室町末期の
建築様式をよく伝えている。

---------------(兵主大社 境内案内板より)

続いてこちらは『乙殿神社 天満宮』。

20160515_兵主大社_004

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乙殿神社 天満宮の御由緒
 豊臣秀吉が、天正十九年(1590年)九月、
京都の北野天満宮において兵主大社の大鰐口(鐘)を
千利休の釜師、辻与次郎に鋳造させ奉納したとの記録が
『北野社社家日記』に記載されております。
 当天満宮は、その折、京都の北野天満宮より勧請したと
伝えられております。
 天満宮は「天神さん」と親しまれ、特に学問の神様として
の御利益があらたかです。乙殿神社の本殿右側の社にお祀り
されています。兵主大社並びに境内末社の乙殿神社の御参拝
にあわせてどうぞお参りください。

---------------(兵主大社 境内案内板より)

20160515_兵主大社_006

20160515_兵主大社_007

神社にはよく、御祭神と深い関わりのある神使像(動物など)
が境内にあったりするのですが…「なぜ亀さんが?」と
思った人に説明。兵主大社の御祭神『八千矛神(大国主神)』
は大津の日吉大社より亀に乗って琵琶湖を渡り、
次に鹿に乗ってこの場所にやって来られたという言い伝えが
あるから。兵主大社の御神紋は『亀甲に鹿角』。
あちこちの神社へ参拝しに行った時にはこういった部分にも
注目してみると面白いかも知れませんよ♪

★その2に続く。
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