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西本宮の山王鳥居をくぐって進むと、日吉大社で飼育されている、
神猿(まさる)さんがいます。下の写真は『神猿舎』。

日吉大社で神猿さんはずっと昔から境内で飼われているそうで、
室町時代の記録にも登場しているらしい。江戸時代に記された絵図等
には『猿飼所』『猿厩』が記され、そして『日吉山王権現知新記』
の記録では、神猿さんの食費として「一石」の予算があてられていた
と記されているそうな。どれだけ大事にされていたかが伺えますね。
…んで、神猿さんの役割。

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京都御所(平安京)の鬼門(北東)は「猿ヶ辻」と呼ばれ
方位の「魔去る」(鬼門守護・厄魔除け)何よりも「勝る」(勝運・
必勝・向上)と尊ぶ日吉大社の「まさる」さんが祭られています。
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【日吉大社の神猿さん伝説】
★『天台座主記』(延暦寺の記録)より。
文永元年(1264)延暦寺が神輿を繰り出し強訴(武装して朝廷に
訴え出る行為)に及ぶ際、僧兵が西本宮楼門東側の回廊に松明を持ち
登ったところ、大きな猿が9匹出てきて松明を取り上げた。
★天皇が病にかかると、神猿も同じ病にかかると言われていた。
江戸時代初期、後西天皇が疱瘡になった時には神猿も疱瘡になり、
天皇の身代わりになって死んでしまったという伝説が。
(=゚ω゚)「猿すげぇー」
SERUNA:「信じるか信じないかは…あなた次第です」
神猿さんについてのリーフレットはこちら。※pdfで開きます。
http://hiyoshitaisha.jp/wp-content/themes/hiyoshi/pdf/hiyoshi_sarudoshi.pdf
京都御所を厄災から守る日吉大社の神猿さんは、オスとメスのつがい
で飼われているようです。仲良く毛繕いをしていました。

神の使いとはいえ、やはりこの子たちはお猿さん。
『特定動物』に指定されていて、飼育するためには都道府県知事又は
政令市の長の許可が必要。日吉大社ではキチンと手順を踏んで
飼育されておりますからご安心ください。

ちょこっと歴史の話。
【日吉大社と豊臣秀吉公とお猿さん】--------------
尾張生まれの豊臣秀吉公。その母は清州町朝日の出身であるのだが…
ある日清州の日吉神社に詣でた時、日輪が懐中に入る夢を見たことで
秀吉公を授かったというエピソードが。秀吉公の幼名が『日吉丸』
というのはそれが由来となっている。秀吉公の「猿」というあだ名は
素早き身のこなしと、彼の顔立ちが、日吉神社の神の使いである猿に
似ている事から。
そして秀吉公は日吉大社を崇敬しておりました。織田信長が比叡山を
焼き討ちした時には、比叡山の東側にある日吉大社も大きな被害を
受けたのですが、後に大修築を行って再建させたのは秀吉公です。
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SERUNA:「可愛いねぇ、いい子だねー、はいポーズそのままー♪」

神猿さん(メス):「なんじゃお前はっ!無礼な奴め!!
気安く写真を撮るでない!吾れは神の使いなるぞ!」
SERUNA:「うお!…ごっ…ごめんなさい!」

なんか、ずっとイライラして怒っていたのはメスの猿。
オス猿の方は気にも留めず「見るなり撮るなり好きにしろ」
って感じでしたよw
神猿舎からもう少し進んでいくと、大きな石が埋まっています。
下の写真のは『祇園石』と呼ばれる霊石です。

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祇園の神様が降り立つ霊石です。
社伝では、岩の窪みに溜まる水は目に良く効くと言われています。
---------------(日吉大社西本宮 境内案内板より)
続いての写真は、山王霊石『大威徳石』。
仏法守護の五大明王である「大威徳明王」が宿る霊石とされている。

★その3に続く!いよいよ西本宮でお参りですよ。
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