※去年の参拝記録です。
『勝部神社』にやって参りました。

鳥居の辺りから撮影した境内の全体。…こんな感じです。
静かな神社ですが、実はココには大蛇退治の伝説が残されていて、
毎年一月にはそらもう凄いお祭りが行われるらしいのですよ。

勝部神社
http://www.city.moriyama.lg.jp/shokokanko/jinnjabukkaku_8.html
御祭神:物部布津神、天火明命、宇麻志間知命、布津主神
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孝徳天皇の大化五年八月十三日物部宿禰広国は、当時勝部村一帯の
土地を領有し、その祖神物部布津神を祀り物部郷の総社とし、
これを物部大明神としました。「三代実録」に陽成天皇元慶六年十月
従五位下の神位階が授けられた物部布津社は当社である。
中世武家時代に入り、武家をはじめ一般の崇敬も一層高まって
参りました。
近江国守護職佐々木氏は深く当社を信仰し、出陣の旗竿は決まって
当社竹林の竹を使用せられ、明応六年佐々木高頼氏は、大願成就祈願
のため御本殿を造営されました。
元亀年間には、織田信長公が、野洲・栗田二郎の起請文六十通を
当社に納められ、文録三年八月豊臣秀次公は神田の寄付と御本殿の
修理を行われました。
------------------(勝部神社 境内案内板より)

こちらは顕彰殿と忠霊碑。

その後ろに鐘が。

火祭りの松明の模型(実物の3分の2サイズ)と、
記念撮影用の顔はめパネルが置かれています。

youtubeより動画を拝借。
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勝部神社例大祭の松明行事は、近江の奇祭「勝部の火まつり」
と呼ばれています。滋賀県の三大火祭りの一つで、昭和三十三年に
県選択無形民俗文化財に指定されています。約八百年続く祭りで、
土御門天皇のご病気の原因と占われた数千年を経たおろちを退治し
焼き払ったところご病気が快癒されたので、これを起源に大蛇に
見立てた大松明を焼いて無病息災・病気平癒・五穀豊穣を祈願する
祭りとなりました。この大蛇退治の折の村人の功績で、天皇より
勝部(勝つところ)の名を与えられたとも云われています。
一月第二土曜日の夜、裸体に褌姿の若者達が大松明(長さ約5m、
重さ400kg、最大直径約4m)十二基を境内に担ぎ入れ御神火を
受けて一斉に奉火されます。若者達は燃えさかる大松明の前で、
鐘・太鼓の乱打されるなか、無病息災を祈願し「ごーよ」
「ひょーよ」(「御脳平癒」の転訛)と唱えながら乱舞(炎の舞)
します勇壮かつ壮厳な古式大祭です。この松明の火にあたると
その年一年は無病息災だといわれており、火まつりが終わると地元
にはようやく新年が訪れます。
此処に飾ってあるのは実物の約3分の2の大きさで
---------------(勝部神社 火まつり説明文より)

【大蛇に見立てた松明】
竹やハンノキ、菜種殼で作られたもの。
大蛇の胴体部分は束ねたハンノキの枝を三本の青竹で支え、
縄で固く縛っている。頭は菜種殼、胴体の鱗はアカマツの板を使用。
【祭りをささえる男達】
『松明組』という勝部の若い男が主役。
(勝部町の自治会、勝部神社とその関係者など)中学1年生から、
34歳までの男子で構成されている。
例大祭当日は松明の一本一本に、米・鰯・豆腐を供えて祈祷を行い、
夕方より松明組の若衆が大太鼓を担いで町内を練り歩き、
夜には勝部神社に松明が勢揃い。褌姿の若衆が御神火により松明に
一斉点火。松明の炎は十数メートルも立ち上がります。
「ごーよ」「ひょーよ」と叫びながら乱舞をし、祭りは最高潮に。
神事も終盤にさしかかる頃、燃え尽きた松明は神社前の楓三道にある
小川に運ばれ、浸されます。
もうひとつ動画を拝借。凄いッスよ。
ついでにですが氏子さん曰く、この祭りを継続していくための資材、
資金、参加者を集めるのにとても大変な思いをしているそうです。
勝部の火まつりを知らなかったという人にも、この記事を読む事で、
少しでも目を向けてもらえたらいいなと。伝統文化を絶やさないよう
皆で繋いでいきたいですね。日本の祭りは日本人の魂&誇りです。
続いての写真は…
向かって右側は『祓所』、左側は『産土社』。

御本殿の裏手にある小さな森。

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