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伝承館の辺りは『北条峠』と言われています。

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ホウジ峠・傍示峠・北条峠のいわれ
平安時代末期から鎌倉時代(荘園時代)に旧勢力
(天皇方・荘園領主)と新勢力(武家方・地頭)下地(土地)
争いをしたとき、その下地を折半(下地中分)するという形
で紛争を解決した際、この峠に「杙」を立てたことから、
「傍示峠」という。地名では、天皇方を「領家」とか
「奥領家」といい、武家方を「地頭方」という。因みに、
この地の字名は「奥領家」である。
北条・鎌倉時代に北条家ゆかりの者がこの地を通って信濃に
逃れたという伝承があったことから、その末裔がこの地を
訪れたとき、「傍示」を「北条」に当て字して「北条峠」と
呼んだといわれている。なお、明治時代には、四国と峻険の
別天地のため、赴任した官吏がこの峠に立って驚愕し、
辞職を申し出たことから「辞職峠」とも伝えられている。
傍示/杙(くい)または石などによって、領地、領田の
境界の標示としたもの。かたわら、近くのところ。(広辞苑)
------------------(北条峠 案内板より)
佐久間の昔ばなしをひとつ。
ここにはお地蔵様が立っているのですが…

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北条峠の地蔵様
むかしむかし、この北条峠に飛騨から出かせぎに来ていた
そま(木こり)が住んでいたと。妻や子供たちにおいしいもの
を食べさせてやりたいと、せっせと働いてはお金をため、
いつも腰にくくりつけておった。
けどある日のこと、ぬす人におそわれて死んでおったそうな。
あまりのかわいそうな身の上に、誰が立てたのか、
殺された場所に地蔵様がたてられたのじゃ。
------------------(北条峠 案内板より)

肌身離さず大金を持ち歩いていたら不用心だよっ!
そりゃ狙われるに決まってるよっ!
…というツッコミは置いておくとして、家族に美味いものを
食べさせたいと毎日頑張って働いていたなんて良いお父ちゃん
じゃないか。看板を読んで静かに手を合わせてしまったよ。
それより物語は続きがなく鬱エンドで終わっているようだが、
飛騨に残された木こりの奥さんと子供は、その後どうなった
のか続きが気になるのは私だけであろうか。お父ちゃんが
いない暮らしで食いつないで行けたのだろうか。
下の写真は断層粘土が剥き出しになっているところ。
お地蔵様のすぐ側で見る事が出来ます。

【断層谷の観察】
北条峠から、ちょっとくだってきた辺りで撮影したもの。
(二本杉峠と呼ばれるあたりから)



最後もうひとつ。
二本杉峠のお話を書いて終わりにしておこう。
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昔、戦国武将がこの峠にさしかかってな、
弁当を食べようとしたが箸がない。遠くの杉の小枝を切って
食べ終わった後、二本の箸を地面に刺してこういった。
「わたしが出世したらお前も大きく育て」と。
その木は明治十年頃切られたが木のまわりが二十メートル、
高さ五十メートルもあったそうな。その武将は家康だとか、
信州の遠山城主だとか、中には弘法大師だとか言われているが、
古い話だでなあ、はっきりしておらん。
-----------------(二本杉峠 案内板より)
お弁当を食べる時に使った箸を突き立てたらぐんぐん育って
大木になったという話は、確かヤマトタケルにもそんなお話
があったっけな。アレはどこの物語だったか…
昔ばなしではきっとよくあるテンプレなんだろうね。
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