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定食屋さんに訪れるような感覚で見て戴けたら嬉しいです。中身は趣味のネタ色々、たまに飯テロ。ヲタクなネタから神社めぐりまで。お好きな記事をブログカテゴリからお選び下さい。
2017年08月24日 (木) | 編集 |
2016.10.14 探訪 
三重県にある『国史跡斎宮跡』にやって参りました。
車は近くにある休憩所に駐車。まずは記事の最初にゆるキャラ、
『めぇめぇ』さんの写真でも如何でしょう。

めぇめぇさんは、この史跡から羊型の硯が発掘されたことにより、
それをモチーフとして作られたキャラクターだそうです。
ぶっちゃけ言うとあまり可愛くないかもw(個人的な感想です)

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田んぼがありました。
ここでは『古代米』が作られているようです。

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古代米(赤米・黒米)の栽培
 当協会では、県・町と共に斎宮跡の公有地をボランティアの方々の
協力もいただき、草花(コスモス・菜の花等)の栽培等の有効活用を
行っています。この古代米(赤米・黒米)の栽培も平成六年より
神宮司庁より譲渡された籾を使用して、参加型の体験学習の場として
活用を行っています。
                財団法人 国史跡斎宮跡保存会

------------------------(案内板より)

田んぼのすぐ側、斎宮跡の中には1/10スケールの模型が。

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 斎宮跡は東西2km、南北700mの137haを占める全国屈指の
史跡です。継続的な発掘調査が今も進行中で、多数の遺構や遺物が
出土しています。史跡の東部には、一辺120mの計画的な地割が
見つかっており、奈良時代後期から平安時代初期にかけて最盛期の
斎宮官衙に相当すると考えられます。
 ここではこの方格地割を再現し、その中心域には発掘によって
解明されつつある建築群の学術的考証に基づく復元模型を設置して
います。このほかの範囲は基本的に現在の道路や宅地を表示
しながらそこに点在する様々な遺跡の位置を示しています。
竹の都の壮大な姿を今の風景に重ね合わせてみてください。

---------------------(斎宮跡 案内板より)

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以下、ほんの一部ですが…
ここから模型の写真をずらずらーっと貼っていきます。

【内院】
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 方格地割の中央部の内院は、周囲を掘立柱塀で囲い、さらに内側
にも掘立柱塀が巡らされ、二重の塀で囲まれた荘厳な場所となって
おり、ここに斎王が暮らした寝殿の存在が推定されています。
大型の建物が立ち並び、大きな井戸も見つかり、斎王の日常的な
住まいであったことがうかがわれます。建物は、掘立柱の高床で、
桧皮葺の建物が中心をなしていたと推定されます。

---------------------(斎宮跡 案内板より)

【神殿】
20161014_saikuuato_017.jpg

-------------------------------
 斎王の寝殿があった内院の北側で、掘立柱塀と溝に囲まれた2棟の
建物が見つかりました。建物は桁行4間・梁行2間の建物が鉤形に
配置され、建物の周囲には隅が途切れた溝状の遺構が巡っています。
厳重に囲まれており、斎王や主神司が祭祀を行った所と思われます。
建物は、掘立柱の高床で、屋根は茅葺、千木と鰹木をもつ神宮正殿
のような建物と推定されます。

---------------------(斎宮跡 案内板より)

下の写真は神殿と寮庫の間に建っていたもの。
奥に見えるのは寮庫。

20161014_saikuuato_018.jpg

【寮庫】
20161014_saikuuato_019.jpg

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 この区画は、平安時代の初め頃、狭い道路で東西に二分され、
桁行5間・梁行2間の掘立柱塀建物が16棟整然と建ち並んでいます。
建物と建物の間は、他の地区よりも広く、火災を防ぐためとみられ
「延喜式」に書かれた斎宮寮の倉庫である「寮庫」とおもわれます。
建物は、掘立柱の土間、屋根は流板葺で、周囲は土塁などで
取り囲んでいたと推定されます。

---------------------(斎宮跡 案内板より)

【八脚門】
20161014_saikuuato_020.jpg

20161014_saikuuato_021.jpg

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 方格地割の南西隅区画には、平安時代初めに、南側の中央で
道に面して門が建てられていました。門は、控柱が前後に4本ずつ、
計8本あるので八脚門とよばれ、古代の役所では格式の高い門とされ、
門の両側には、掘立柱塀がとりつき、内院地区以外で掘に囲まれた
特別な地区といえます。

---------------------(斎宮跡 案内板より)

こういうのを見ちゃうと、ちっこいフィギュアやお人形を置きたく
なってしまうのは私だけッスかね。ヲタクのサガだな… (´Д`;A

YouTubeから、明和町の公式動画を拝借。この辺りの遺跡の全てを
発掘し終えるまで、あと200年以上もかかるそうですよ。
みんなで大事にしていかないとね。



施設についてはこちら。
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国史跡斎宮跡
http://meiwa.sub.jp/meisho/meisho.html
住所:三重県多気郡明和町斎宮
問合せ電話番号/0596-52-7138(明和町斎宮跡・文化観光課)

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★『さいくう平安の杜』に続く!
http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-1786.html


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