写真は去年訪れた時のものです。
ここに訪れたのは「ついで」というか何というか…
浜松市の文化財課で発行している埴輪の本がずっと欲しくて、
(http://www.city.hamamatsu.shizuoka.jp/bunkazai/publish/index.html)
じゃあ買いに行きがてら見学でもしましょうかねと訪れた場所。
蜆塚遺跡は、浜松市博物館のすぐ側にあります。
(=゚ω゚)「本は通販でも入手出来るじゃん」
SERUNA:「実際手にとって中身を確認したかったからね。
他にも面白い本があるかもだし、近いし、行けば遊べるしw」


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国指定遺跡 蜆塚遺跡(縄文時代 約3,000〜4,000年前)
蜆塚遺跡は木の実の採集や狩・漁によって食料を得た時代のムラの
跡です。このムラは周囲に4ヶ所の貝塚があり、20数軒の家の跡や
30ヶ所ほどの墓が発見されています。
またムラの中央部は広場となっていました。このムラは約1,000年
にわたって断続的に営まれましたが、一時期のムラの規模は家が
3〜5軒程度、人口は20人前後であったようです。なお蜆塚遺跡から
発掘された物は、浜松市博物館に展示してあります。
--------------------(蜆塚遺跡 案内板より)
【復元家屋】



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復元したムラ
1955(昭和30)年から4年間にわたる発掘調査によって、
6本柱と4本柱の四角な家のあとと、8本柱のまるい家のあとが20数軒
みつかりました。屋根や柱はくさってしまっていますが、想像すると
木で骨ぐみをつくり、草で屋根をふいたと考えられます。
蜆塚遺跡の発掘調査が行われてから、30年たったのを記念して、
1985(昭和60)年7月に、発掘調査でわかったことをもとにして
新しくつくりかえました。
--------------------(蜆塚遺跡 案内板より)
【蜆塚遺跡】

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蜆塚遺跡から掘り出されたもの
蜆塚遺跡から、人達が魚やけものなどをとるために、
石や骨で作った道具、木の実や貝などを煮たり、たくわえたりする
のに使った土器、人々が身につけた首かざりや貝のうでわなどが
みつかりました。土器の形やもようのちがいから、およそ3〜4,000
年前のムラのあとであることがわかりました。
この遺跡から掘り出されたものは、遺跡の南側にある浜松市博物館
に展示してあります。
--------------------(蜆塚遺跡 案内板より)
【蜆塚諸霊之碑】
復元家屋の近くにはこんな場所も。ここは貝塚の上であるが、
1970年頃までは墓地として利用されていた場所だそうです。


下の写真は遺跡ふたつめ。

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蜆塚のムラ
4年にわたる発掘調査で、およそ3〜4,000年前の家のあとが
20数軒みつかりました。何回も建てかえたあとを調べてみると、
このムラでは4〜5軒の家で20人くらいが、生活していたことが
わかりました。
当時の人々は、平均して40歳ぐらいで一生を終り、
その墓はムラの中につくりました。長さ150cm、幅80cm、
深さ50cmほどの墓穴が30みつかりました。くびかざりや貝の
うでわを身につけた人骨などが掘り出されています。
なお発掘調査したあとは、うめもどしてあります。
--------------------(蜆塚遺跡 案内板より)
【四本柱の家のあと】

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四本柱の家のあと
ここは発掘調査でみつかった蜆塚人の家のあとです。
4つのまるい穴に柱をうめて、木や草で屋根をつくりました。
地面を少しけずって床とし、中で火をたき、家の中を明るくしたり、
食べ物を料理をしたりしました。おそらく家のまわりに土を積んで、
雨水が入るのを防いだものと思われます。このような家を
「平地式住居」と呼びます。
このような家のあとをもとに、西側に5軒のムラを復元しました。
--------------------(蜆塚遺跡 案内板より)
なかなかこういったものは、余程興味がないと惹かれないかもですが
(私は好きだからじっくり見ていったぞ)、浜松に来られた際は
ほんのちょっとだけ立ち寄ってみては如何でしょう。
ちなみにですが、復元された住居の中には自由に入る事が出来ます。
まぁ、特に何かあるってワケでも無いんですけどね。
本日紹介した場所の情報です。
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国指定遺跡 蜆塚遺跡
http://www.city.hamamatsu.shizuoka.jp/hamahaku/04smzkap/kouen.html
住所/静岡県浜松市中区蜆塚4丁目22-1
問合せ電話番号/053-456-2208(浜松市役所市民部博物館)
入場料/見学自由・無料
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太古の遺跡と聞くとロマンが溢れてしまいますね。当時の人々の生活が如何様な物だったのか、思いを馳せてみるのも一興で御座います。
日記を読んで「お」っと思ったのが、掘り返された人骨は埋め戻されてるのですね。何故だか安心してしまいました。
こう考えると、エジプトのミイラなどを展示してる博物館とかどうなのかなと考えてしまうな……あれって、こう言っちゃなんだけど「墓荒らし」と何ら変わらない気がするぞ。
せっかく寝てたのに、照明の当たる場所に移されて晒し者。ミイラも良い迷惑で御座いますね。「明るくて寝れねーよ!」
( ̄▽ ̄;)< そんなにミイラを見たい人いるのかね…
いつもコメントありがとうッスー♪
はに丸くん、懐かしすぎw
あっ!そうそう。その人骨なんですけれども、
私も説明板にある文章を読んでてっきりKOHさんのように
「また埋め戻されたのね」と思っちゃったんですけど、
http://www.hamamatsu-books.jp/category/detail/4c8db569b2a85.html
↑これを見ると浜松市博物館に展示されている蜆塚遺跡の
住人さん(という言い方もアレですがw)もいらっしゃって
いいんだか悪いんだかとっても微妙な気持ち。
展示品となってしまった者もいれば、埋め戻された者もいる
のだろうか。死して晒されるのもちょっと可哀想な気も。
なんとも言えない気持ちになりますな。(^ω^;)
更にググってみると、発掘されたのは31体だったそうで、
その殆どの頭蓋骨には上下の犬歯を抜いた跡があり、
この辺りの古代人は抜歯する習わし?があったのかもと推測
されているようです。平均身長が男性157cm・女性143cm。
古代人、結構ちっちゃかったんですね。
私もKOHさんも勘違いしちゃったのかも知れないけど、
二通りの読み方が出来るんですよね。
>なお発掘調査したあとは、うめもどしてあります。
1「なお発掘調査した後は」
→ 人骨は元に戻して遺跡も埋め戻したよという読み方が出来る。
2「なお発掘調査した跡は」
→人骨は資料として出したが、遺跡は元通り埋めたよと読める。
ああ、なるほど。「後」か「跡」で確かに意味が変わってくるね。つーか、平仮名じゃなくてもいい気がするがw だから勘違いしちゃうのね。(実のところはどうか分からんが)
いずれにしても、人骨なりミイラを展示ってのは個人的にはどうも……まあ、歴史的価値を考えたら然もありなん、なのでしょうかね。ただ、最後には埋め戻して欲しい気がするぞ。
どうでもいいけど、たとえば標本とか、ちょっと苦手なのよね……楳図かずおの怖いやつ読んじまってからさ……
( ̄▽ ̄;)< 猫目小僧な!
あちこちこういった歴史的なスポットに足を運ぶと、
必ずそこを説明する案内板が立てられているんですが、
子供にも読み易い事を目的としているのか何なのかがよく
わからんけれども、漢字にすればいい文章もナゼかわざわざ
平仮名表記にしている場所に遭遇する事ってよくあります。
(そしてその文をそのまま転載するにも激しくやり辛いw)
個人的には漢字で書いて、子供向けでその上に振り仮名という
形にすればいいのにと思うんですが、なぜ頑なに平仮名なのか
謎っすな。 (´∀ `;)
>楳図かずおの怖いやつ読んじまってからさ……
KOHさんのトラウマw
楳図さんの漫画って、まず絵から結構独特な作風だからなぁ。
『サンタ・マリア・インマコラータ・コンチェツィオーネ教会』
の事を思い出してしまいました。
死者の骸骨もミイラも、展示があの教会レベルになると、
割と平気な自分も流石に無理。怖いので「ググるな危険」ッスw