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本堂に向かう途中、三重塔が見えます。
この塔は、江戸時代初期に焼失したと言われており、
約350年ぶりに復元されたものだそうです。

塔も宝物館も、帰りのフェリーの時間があるので今回はスルー。

あとちょっとで宝厳寺の本堂ですよ。
(ここからの風景だと、屋根だけ見えてますね)

上の写真の左手側にあるのは『天狗堂』。

本堂に着きましたよー。
※すみません、お堂の内部は撮影していないです。

西国三十番札所 竹生島 宝厳寺
http://www.chikubushima.jp/
御本尊:弁才天
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すべては、天照皇大神のお告げから
竹生島宝厳寺は、神亀元年(724年)聖武天皇が、夢枕に立った
天照皇大神より「江州の湖中に小島がある。その島は弁才天の聖地
であるから、寺院を建立せよ。すれば、国家泰平、五穀豊穣、
万民豊楽となるであろう」というお告げを受け、
僧行基を勅使としてつかわし、堂塔を開基させたのが始まりです。
行基は、早速弁才天像(当山では大弁才天と呼ぶ)を彫刻し、
ご本尊として本堂に安置。翌年には、観音堂を建立し、千手観音像
を安置しました。それ以来、天皇の行幸が続き、また伝教大師、
弘法大師なども来島、修業されたと伝えられています。
当山は、豊臣秀吉との関係も強く、多くの書状、多くの宝物が
寄贈されています。慶長七年(1602年)には、太閤の遺命により、
秀頼が豊国廟より桃山時代の代表的遺稿である観音堂や唐門などを
移築させています。
--------------(宝厳寺 公式サイトより一部抜粋)
宝厳寺は真言宗豊山派の寺院だそうです。
話はちょっとだけズレるけど、仏教に詳しい人もそうでない人も
「仏教 相関図 AA」でググると面白いコピペが見れますねw

本堂については下記リンクを参考にどうぞ。
http://www.chikubushima.jp/explore/hondou/
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全国数多くのご信者様の強い要望により廃寺は免れる
明治時代、この島は大きく変化し、当山より都久夫須麻神社
(竹生島神社)が分かれました。古来、現在の神社本殿を当山は
本堂とし、本尊大弁才天を安置しておりましたが、
明治元年(1868年)に発布された『神仏分離令』により大津県庁
より、当山を廃寺とし神社に改めよという命令が下りました。
しかしながら、全国数多くのご信者皆様の強い要望により廃寺
は免れ、本堂の建物のみを神社に引き渡すこととなりました。
本堂のないままに仮安置の大弁才天でしたが、昭和17年、
現在の本堂が再建されました。
--------------(宝厳寺 公式サイトより一部抜粋)
案内板の弁天様を撮影。

本堂の側に『南無不動明王』。
仏教は全然詳しくないが、これだけは言える。
不動明王って、なんか厳つくてカッコいいよね。

宝厳寺 バーチャル拝観
http://www.chikubushima.jp/virtual/inorinokaidan/vrtour.html
↑公式サイトにこんなページがあったので貼っておきます。
これを見れば、参拝した気分になれるかも?!
全てを参拝し終えてフェリーに向かう途中の石段で、
可愛いトカゲさんを見つけました。龍神をお祀りする神域内で
トカゲに出会うとは。蛇じゃないけどこの子も似たようなもの。
少しだけ縁起が良いような気がしました。
捕まえたら尻尾切れちゃうんで、見つけてもそっとしておこう。

★参拝後の記事に続く。
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