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定食屋さんに訪れるような感覚で見て戴けたら嬉しいです。中身は趣味のネタ色々、たまに飯テロ。ヲタクなネタから神社めぐりまで。お好きな記事をブログカテゴリからお選び下さい。
2017年11月15日 (水) | 編集 |
2017.4.25 探訪 
滋賀から静岡へ帰る途中で幟が目に飛び込んできました。
それがここ『大谷刑部吉継の首塚』
田んぼや畑の中にポツンと佇む感じで鎮座しております。

帰り道に首塚があるとは全然知らなかったんだけど、
「へぇ!こんな所があったんだ」と少し立ち寄ってみる事に。
側で農作業中のご婦人がいたので「こんにちはー」と挨拶をし、
首塚に手を合わせて参りました。

20170425_gyoubukubizuka_001.jpg

彼の有名なエピソードとしては、茶の席でのあの話。
石田三成が、病気の吉継さんを嫌がる事なく茶をまわし飲みした
というアレです。普通ならうぇっ…となるところなのにね。
あの逸話は大谷さんのエピソードというよりもむしろ、
「えぇ!三成スゲぇいい奴じゃん!」っていうお話なんですが、
吉継さんと三成さんとの仲がどんだけ良かったんだってのが
一発でわかるエピソードなので好きなんですよ。
(創作だという説もあるようですが…)

それはさておき……

20170425_gyoubukubizuka_002.jpg

------------------------------
 関ヶ原の合戦(1600)で、西軍石田方の参謀として奮迅の働き
をした大谷刑部吉継(1559〜1600)の首塚と伝えられています。
小形の一石五輪塔で、半間四方の覆屋の祠の中に祀られています。
大谷吉継は、石田三成と同じころに羽柴秀吉に召し抱えられ、
関ヶ原合戦のときには越前国敦賀五万石の領主でした。
関ヶ原での小早川秀明の裏切りによって、西軍の敗北を悟った
吉継が、敵に首を渡さないよう、湯浅五助の介錯で自刃し、
甥の僧祐玄が首級を錦の袋に入れて、敦賀への逃亡の途上に、
この地に埋め隠したといわれています。
いまでも地元の人々によって大切に守られ、供養されています。

-----------------(大谷吉継首塚案内板より)

20170425_gyoubukubizuka_003.jpg

ちなみに、福井県敦賀市の『永賞寺』に彼の供養塔と、
岐阜県の関ヶ原町には、お墓があるそうです。
https://ja-jp.facebook.com/eishoujitakudou/
http://www2.kanko-sekigahara.jp/historicsites-sekigahara/002.html

首塚も供養塔も、歴史に興味あるかたは是非一度、
お参りしてみては如何でしょう。

:関ヶ原町にあるお墓は、現在修復のため閉鎖中です。
(平成29年11月6日〜平成30年2月20日まで)
http://www.town.sekigahara.gifu.jp/4497.htm


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