→ http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-1899.html
展示室に行ってみましょう。

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「合角」という名前の由来。
ダム湖に架かっている合角漣大橋上流には、昔、合角という
名前の集落がありました。「合角」というのは、その辺りに鹿が
たくさん住んでいて、牡鹿同士が角を突き合わせていたことから
「合角」と名付けられたといわれております。
----------------------(説明文より)
これは全国各地、どのダムにも言える事ですが、
いつもダムを見学して思うことは、ダムに沈んだ村のこと。
ダム湖の底にはかつて人々の暮らしがありました。


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在りし日のふるさと
山があり、川が流れ、そして人々が暮らしていました。
ダムの建設により日尾地区(39戸)、合角地区(31戸)、
女形地区(4戸)、塚越地区(1戸)の75戸が移転しました。
------------------(パネルの説明文より)



ダムが作られることによって、ダムに沈む村もあったわけで…
先祖代々ずっと守ってきた土地や、生まれ育った故郷が無くなる
という事はどんなに寂しいことか。恐らく町で何不自由なく、
のほほんと暮らしている人には想像をしたことも無いでしょうし
他人事のように感じる事でしょう。でもそれじゃダメです。
え?関係ないからそんなの知らないって?
じゃあ、もしも自分がこういう状況に置かれたらとしたら…?
私は凄く切なくなりますよ。

こんな記事があったので貼っておきますね。
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文献に見る補償の精神
http://damnet.or.jp/cgi-bin/binranB/TPage.cgi?id=413
-----------(リンク先:一般財団法人 日本ダム協会)
「人間もえらいことをするもんだ。
その土地の歴史も信仰も人情もみんな無くしちゃうんだからなぁ」
リンク先に書かれてあったこの言葉は深く胸に刺さります。
展示室にあった、涙を流すお婆さんの写真を見ちゃったらもうね…



「都会の人に水をあげるために仕方の無い事だ」
「これも、大勢の人の為になるのなら仕方の無い事だ」と自分に
言い聞かせながら、思い出の詰まった故郷のことを思いながら、
ダムに沈む村を離れなければならない人たちがいた事を、
私たちは決して忘れてはいけないと思うんです。
普段、当たり前のように何気無く使っている水ですが、
こういう人たちも居たんだという事を、頭のほんの片隅にでも
入れておいて欲しいです。
水は大事に、ありがたく使いましょう。
★その3に続く!
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