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奥津宮までやってきました。
この鳥居は、源頼朝寄進の鳥居と言われていますが…


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伝頼朝寄進の鳥居
鎌倉幕府を開いた頼朝は政治の方策としての信仰を、
大きく取り上げ、各地に寺社伽藍を創建したが、その一つとして
江島神社にも数度にわたって参詣、参籠しそのつど信仰上の対象
を寄進しています。
吾妻鏡によれば「頼朝は養和2年(1182年)奥州平泉の
藤原秀衡を調伏するため、京都高尾神護寺の文党上人に命じて
弁財天を岩屋に勧請し、参詣の際には鳥居を寄進しました」
とあります。
現在の鳥居は平成16年(2004年)の台風で破損し、
補修されたものですが、源頼朝寄進の鳥居は、これに似たもの
が建てられたと伝えられています(設置の場所も形も特定
できません)。
--------------------(境内案内板より)
この側に『亀石』があるので見に行ってみましょう。



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古い標文に『鎌倉四名石の一つで、またの名を「蔵六石」
という。』とあります。
「武江年表」に文化3年(1806年)弁秀堂という人が弁財天
を信奉して金光明最勝王経を写経しここへ納め、上に置く石を
探したところ、亀の形をした石を発見したので江の島に奉納
したと書かれています。大いちょうの木の下に置かれています。
--------------------(境内案内板より)
そのすぐ側に『力石』も。

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江戸時代に日本一の力持と言われた卯之助(岩槻藩)が当社に
奉納したもの。重さ八十貫(320キロ)で石には「奉納 岩槻
卯之助持之 八拾貫」と刻まれている。弁財天の祭礼に詣でた人々
の前で力競技を行なった時のものである。
--------------------(境内案内板より)
奥津宮を紹介いたします。
ココにお祀りされている多紀理比賣命は、三姉妹のうちの長女。
ご存知ない方に「プチ豆知識」として書いておきますと、
一番上のお姉ちゃん「多紀理比賣命」は、国津神である大国主命
と結婚をしております。

奥津宮(御旅所・本宮)
http://enoshimajinja.or.jp/okutsumiya/
御祭神:多紀理比賣命
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天保十三年(1842年)再建。
源頼朝 奉納石鳥居・酒井抱一の八方睨みの竜・八十貫の力石・
鎌倉四名石の一つ亀甲石・御神木・山田流箏曲開祖 山田検校像
等がある。
----------------(江島神社 境内案内板より)
さてこの奥津宮、昔は「本宮御旅所」と称されていました。
ここが「御旅所」とされる由来は、岩屋に安置してある仏像を、
岩屋付近の荒波から避ける為、毎年四月中旬〜十月中旬まで
ここに遷座した事によるものです。
奥津宮は天保十二年(1841年)に一度焼失をしております。
翌十三年に再建されたのが現在の社殿で、平成二十三年(2011)
に修復されているそうです。
ここに来たら拝殿天井をご覧いただきたい。
『八方睨みの亀』(復元画です)があります。


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江戸時代、享和3年(1803年)画家・酒井抱一が描いた
「正面向亀図」です。どこから見てもこちらを睨んでいる様に
見えるところから「八方睨みの亀」と呼ばれています。
正面向きの亀を桐材に金箔を押し、強い線で描かれ、
もとは胡粉、緑青 、丹色で彩色されていました。
原絵は海風の侵食からまもるために、江島神社の宝殿に納め
られています。いま奥津宮にかかげられているのは、
平成6年(1994年)に片岡華陽画伯が描いた復元画です。
酒井抱一(1761〜1828年)の画技は特にすぐれ、
琳派(俵屋宗達・尾形光琳流)を復活したことでも広く知られ
ていました。
酒井抱一がなぜここに亀絵奉納したのかはわかりませんが、
亀は長寿のシンボルで、江の島は不老長寿の島として人々に
人気がありました。
----------------(江島神社 境内案内板より)

★その6に続くよ!
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★その前に江の島の猫さん(その2)はいかが?
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