去年の11月に参拝してきました。
そもそ何故、彌彦神社へ行ったのかというと…
旦那:「明日、彌彦神社の鎮魂祭が見たいから行こう」
SERUNA:「………えっ……えっ?!」
旦那:「彌彦神社 ( ^ω^ )」
SERUNA:「彌彦神社って……」
旦那:「新潟だよ ( ^ω^ )」
SERUNA:「いや、そういう問題じゃなくてw」
旦那:「思い立ったら吉日って言うじゃん」
SERUNA:( ゚д゚)
神事が何時からおこなわれるのかもわからず、そもそも一般の
参拝者が見る事が出来るかどうかも不明だというのに思いつきで
「行こう!」と言い出す旦那。パーナム効果がなんちゃらと
言われてしまうかも知れないが、B型のウチの旦那はよく
こんな風に思いつきで行動する事が多々あるのですよね。
…なので旅に行く時には綿密な調査(色々ネットで調べたり)と
スケジュールを立てて行動したいAB型の私は、B型の旦那の、
この突然の「行こう!」に何度もビビらされる事がw
静岡からだと新潟までえらく時間がかかるし、
宿泊するための準備だってしたいのだよ…
〜新潟到着〜
出発してから全然寝ていないので、道の駅「国上」で仮眠。
この近くに酒呑童子神社ってのがあるらしく、少し行ってみたい
と思ったのですが今回は見送り。

次の写真ピンボケ。
当たり前だが、日本海側って山から朝日が昇るんだよなと、
普段見られない景色を暫く眺めてしまいました。海から日が昇る
太平洋側に住む人間にとってこの景色は何だか新鮮に感じる。

んで、二時間も睡眠をとってしまったが『彌彦神社』に到着。
ちなみにココに来るまで旦那が気にしていた鎮魂祭は、
(予想はついていたが)早朝のうちに終了していた模様w
そうだよな、大体こういうのって朝早くのうちにやるんだよ。
旦那:「鎮魂祭、終わってた… (´・ω・`)」
下の写真の鳥居は彌彦神社の一の鳥居。
大正時代(1916年)に建てられたものだそうです。


鳥居をくぐってまっすぐ参道が続いていますが…

参道に架かる橋から左手側を見ると、
赤い橋が架かっていることに気付くと思います。

これは『玉ノ橋』と言って人間が渡る事の出来ない、
神様の為の橋なのです。


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御神橋 玉ノ橋
当神社古記録によると、和同四年(西暦711年)勅令により
宮殿が改められた境内建造物の中に、御池「玉ノ橋」が
記載されている如く、古くから参道中程に「御神橋」があり、
室町時代の境内古地図にも描かれている。
「玉ノ橋」について古伝には
今の人心の玉ノ橋を求めて神慮に通わしめて
真の道を得る心なり。
とある。
明治四十五年、弥彦大火の際、社殿始め境内建造物を焼失
した中で、明治二十九年改築された「玉ノ橋」だけはその難を
まぬがれた。その後境内拡張、社殿造替事業に際し外苑弥彦公園
に一時移転されていたが、昭和六十年の御遷座七十年奉祝を機と
して霊峰弥彦山の清流御手洗川に修理復元したものである。
----------------(弥彦神社 境内案内板より)

先ほどの参道に戻って今度は、玉ノ橋とは逆の右手側をずっと
進んで行くと『祓戸神社』があります。


祓戸とはその名の通り祓えを行う場であり、
ここをお参りする事で、禍事、罪穢れを祓う事が出来ます。
清浄な状態で御本社をお参りするためにも、そちらを先にお参り
しておく事をオススメ致します(彌彦神社以外にも祓戸神社が
ある場所もありますが、同様に先にお参りをオススメ♪)。

★その2に続くよ!
→ http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-2010.html
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