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2014年05月11日 (日) | 編集 |
2014.5.6参拝
武甲山の麓にある神社にやってきました。

元々この神社は武甲山の山頂付近にあったそうですけれど…
明治期より武甲山は、石灰岩を採掘するために削り取られてしまう
運命に遭い、縄文から近代に至るまで歴史のあった信仰遺跡や巨石群
がそのせいで完全に消滅してしまい、頂上付近にあった神社も、
現在の場所に遷座せざるを得なくなったのだとか。
(奥宮も石灰石採掘のため、南面へ標高を下げられてしまう運命に)

20140506_武甲山御嶽神社里宮_001

武甲山御嶽神社 里宮
http://yaokami.jp/1111796/
御祭神:日本武尊、
合祀:男大迹尊 (継体天皇)、武金日尊(安閑天皇)
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 当社は人皇第12代景行天皇の御代、皇子日本武尊がご東征の折、
当山山頂に武具を理められて、関東の鎮護となされたのを起源と致します。
欽明天皇の御代勅命によって、当山にご縁故の深い日本武尊を主神として
男大迹尊(第26代継体天皇)武金日尊(第27代安閑天皇)を配祀されました。
武金日尊は中世蔵王権現として世に知られております。
社記に「継体・安閑両帝の御代、百穀よく稔り、豊の上に豊にて諸国に屯倉
の貯え始まり、国民の歓声国に満つと。その御徳を仰ぎ奉りて国人皆此の神
を諸国の高山に奉祀す。」とあります。

降って朱雀天皇(第61代)の天慶七年(944)関東に疫病流行し、
国民の多くが病に倒れました。時の郡領平武光は勅を奉じて少彦名命を奉斎し
厄難消滅の祈願を致しました処、疫病たちどころに平癒したといわれます。

正親町天皇(第106代)の永禄12年(1569)武田信玄の本郡進入によって、
社殿は悉く焼かれてしまいました。北条氏邦は当社を深く崇敬し、
神に祈誓して之を撃退できましたので、元亀元年(1570)社殿の再建に着手
し天正二年(1574)に造営が竣工致しました。この時、氏邦は大山祇命を
合祀し奉賽として太刀一振を社頭に奉納し、社領永三貫匁を寄進致しました。
徳川時代には武家方の信仰が厚く、爾来ご神徳は赫々として輝き、
明治4年には村社に列せられました。


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20140506_武甲山御嶽神社里宮_002

小さな神社でしたので「もしかしたら参拝者は私らだけかも…」
と思っていましたけれど、後からポツポツと参拝者がやってきては
ササっとお参りを済ませていました。これから武甲山にハイキングへ
といった感じのスタイルの人もいらっしゃいました。

御朱印がいただきたかったのですが「はて、どこで戴いていいのやら」
…と、ふと拝殿に目を向けると賽銭箱の横に「御朱印などは宮司宅へ」
(うろ覚えですw)と張り紙がしてあったので側にある御宅に向かい、
呼び鈴を鳴らすもののお留守。残念でした。orz



この神社では、春と秋に神楽が奉奏されます。その始まりは文禄5年
(1596)と大変歴史あるもの。この辺りでは『里宮の神楽』として
親しまれているものですが、戦前は講中に炭焼きをしている人が多く
いたため『炭焼き神楽』とも呼ばれていたそうな。
参照→http://www.yokoze.org/bunkazai/satomiya_kagura/

そうそう。武甲山の山頂に奥宮があるのですけれど、
(12~4月までの間は閉鎖)そこも登山コースで軽く1時間半〜2時間
くらいかかるらしいので今回は登頂をあきらめました。
そこにはやはりヤマトタケルの眷属であるオオカミの像が置かれて
いるようです。いつか奥宮へも参拝したい。(記事:©SERUNA)

20140506_武甲山御嶽神社里宮_003

上の写真は、神社から見える可哀想な姿になっている武甲山。
次のエントリーでは、そのお山について触れてみようと思います。

★その2に続く。

http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-202.html


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