→ http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-2034.html
続いては『本堂』の写真です。

北越霊場 曹洞宗 妙高寺
http://www.myoukouji.com
御本尊:愛染明王
-----------------------------
妙高寺は740年余り前の鎌倉時代、1265年(文永2年)
内ケ巻城主(現在の小千谷市川井内ケ巻)で新田氏の一族
田中大炊介源義房により創建された曹洞宗の寺院です。
寺伝によると本尊愛染明王はその昔、伊豆の田中の荘(静岡県)
に安置されており、源頼朝が源氏の復興を願い深く信仰されて
いたといわれています。
その後一族の田中大炊介が内ケ巻城主となる際、
この地に一緒にお移しし一族の興隆と領民の繁栄を祈願し
妙高寺を建てました。
開山は当時の高僧清津天海禅師でその徳を敬慕する人が大変
多かったそうです。
------------------------(↓続く)

-----------------------------
鎌倉時代後期の正中年間には後醍醐天皇より紫衣黄衣の
御下賜があったと伝えられています。
文禄5年(1594年)長岡、洞照寺より果翁良珊和尚が入山、
それまでの真言宗から曹洞宗になりました。徳川五代将軍綱吉の
時代には幕府より除地高10石余を明王の永久供養のもとでにと
附与されました。この間、明王は広く十方に信仰され、
参詣する人は後を絶えませんでした。
------------------------(↓続く)

-----------------------------
また、妙高寺は妻有(十日町市を中心とした新潟県南西部地域)
百三十三番霊場の百十四番札所ともなっています。 大正13年火災
により堂宇を焼失し、それまで山の上にあった寺を現在の場所に
移転し今日にいたっています。
山号の駒形は当初の寺の建てられた山の形が名馬の走る姿に
よく似ていたことにより、寺号の妙高は寺の位置が非常に景勝の
地であり霊気が漂いあたかも須弥山のようだったことによります。
※須弥山(サンスクリット語でスメール山)とは仏教の世界観の中で
中心にそびえる山のこと。「須弥」とは音訳で意訳では「妙高」。
-------------(曹洞宗 妙高寺 パンフレットより)
本堂を背にして撮影。
左→右に視線を移してみる。


お地蔵様たち。


訪れたのは紅葉の時期でした。

それにしても、このお寺にある仏像が伊豆からやってきたとは…
静岡県民である私たちにしてみたら、たまたまではあるけれど、
「フラッと立ち寄りたくなったのも何かのご縁だろうか?」
とさえ思えてしまう。
普段はいつも神社ばかり参拝しているけれど、
お寺もたまには良いものですね。
ブログに訪問ありがとう!
拍手やランキングをポチッとよろしくね♪
![]() にほんブログ村 | ![]() にほんブログ村 | ![]() 人気ブログランキングへ |