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定食屋さんに訪れるような感覚で見てもらえたら嬉しいです。中身は趣味のネタ色々。ヲタクなネタから神社めぐりまでw
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2018年04月07日 (土) | 編集 |
2017.12.5 参拝 
去年訪れた記録です。
袋井市にある『可睡斎』にやって参りました。

まず最初にこちらの『東陽軒』は、総門のそばにある地蔵堂。

20171205_kasuisai_001.jpg

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 当山五世太路一遵和尚(1398〜1518)は如仲天誾禅師に
ついて出家したことから禅師が一時寓止したといわれる久野城外
の松樹下の大通庵を探り当て座禅をしていた。
座禅中、毘沙門天の奇瑞を感得し、お告げ通り近くに一つのお堂
を建て東陽軒と名付けた。その東陽軒が可睡斎の始まりである。
 現在の建物は、昭和六十年に観音堂を移築したものである。

-----------------(可睡斎 境内案内板より)

総門前にやってきました。
綺麗な青空ですね。

20171205_kasuisai_002.jpg

総門の写真です。

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総門の上部。
十二支と方角が描かれています。

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20171205_kasuisai_005.jpg

総門をくぐり進んで行くと山門に続く石段が。
訪れたこの日の観光客は、ほぼご老人ばかりというw

20171205_kasuisai_006.jpg

石段脇に生えた、とにかくでっかいご神木。
見事でありますなぁ。

20171205_kasuisai_007.jpg

石段をあがり、こちらは可睡斎の山門

20171205_kasuisai_008.jpg

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 禅宗寺院の七堂伽藍(がらん)の一つで、寺院の正式な入り口。
古くは寺の南と東西に面して三つ、あるいは参道に沿って
三つ設けられたところから三門または、山門と書かれた。
また一つの門でも、空(くう)、無相(むそう)、無作(むさ)
の三解脱門(さんげだつもん)の意味で三門(山門)とされた。
また可睡斎の山門は、昭和十年に当時、建築界の重鎮 特に寺社
建築の泰斗であった伊東忠太博士に設計依頼しておりましたが、
完成にまで至らず、七十六年の歳月を経てこの度、伊東忠太博士
の設計図を基に平成二十二年に落慶いたしました。

------------------------(↓続く)

20171205_kasuisai_009.jpg

20171205_kasuisai_010.jpg

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 金剛力士は、仏教の護法善神(守護神)である天部の一つ。
開口の阿形像と、口を結んだ吽形像の二体を一対として、
寺院の表門などに安置することが多い。一般には仁王(本来は
二王と書く)の名で親しまれている。彫刻師は岐阜県美濃の
大橋祐端師。
言語は「金剛杵(仏敵を退散させる武器)を持つもの」の意。
日本では寺院の入口の門の左右に仁王像が立っているのを
しばしば見かける。
像容は上半身裸形で、筋骨隆々とし、阿形像は怒りの表情を
顕わにし、吽形像は怒りを内に秘めた表情に表すものが多い。
こうした造形は、寺院内に仏敵が入り込むことを防ぐ守護神と
しての性格を表している。

-----------------(可睡斎 境内案内板より)

山門をくぐって下の写真は『おさすり大黒』。
皆、お腹のあたりをよくさすっていくのかツルッツルですw

20171205_kasuisai_011.jpg

★その2へ続く!
http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-2074.html


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