去年参拝に訪れた時の記録です。
浜松市中区にある『浜松八幡宮』へ参拝してきました。

颯々の松と呼ばれる松があります。
何とその松は(諸説ありますが)「浜松」の地名の起源となる
ものだとか何とか。

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颯々の松(ざざんざのまつ)
伝承では当宮が現在地へと遷座した際に、
白狐が浜から携えてきた松の苗木が繁茂して颯々の松になった
といいます。その後、浜の松が転じて里の名が浜松となり、
浜松の名称の起源となったと伝えられています。
また、室町六代将軍足利義教公が富士見物に下向した折、
この松のもとで「浜松の音はざざんざ」と謳ったことから、
この松を「颯々の松」と呼ぶようになったとの伝承もあります。
「曳馬拾遺」(1712年)に颯々の松とは野口村の森をいい、
三十本余りの松が群生していたと記され、この場所は当宮の社領
となっていました。やがて「濱松名稱起源颯々之松」の石碑が
建立されましたが、松林は昭和二十年の空襲により焼失。
再び松が植えられ様々な変遷を経て、平成二十三年に石碑は境内
に移され、五代目の松が植栽されています。
---------------(浜松八幡宮 境内案内板より)
浜松八幡宮の社殿のすぐそばに大きな御神木のクスが。
全景を撮るにもすごく難しかった…


一見、二本の木のように見えますが二本ではなく一本の木で、
現在向こうに抜けてしまっている穴は昔はこんなではなく
ちゃんと室になっていたそうです。

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雲立のクス 昭和27年4月1日 県指定天然記念物
楠の巨樹で、地上1,5mの幹周り役13m、根元周り14m。
枝張り東西役21m、南北役23m、樹高約15mあり、幹の下部には
大きな空洞がある。幹は地上1.5mのところより数枝に分かれ、
古木の部分は樹勢が衰えているが、新生部はすこぶる旺盛で、
枝葉は四方に繁茂している。
永承6年(1051年)八幡太郎義家が当八幡宮に参籠の折り、
樹下に旗を立てたとの伝承から「御旗楠」と称された。
また、元亀3年(1572年)徳川家康は三方原合戦に敗れ、
武田軍に追われてこの楠の洞穴に潜み、その時瑞雲が立ち上がっ
たとの故事により「雲立の楠」と称されるようになった。
---------------(浜松八幡宮 境内案内板より)

浜松八幡宮
http://www.hamamatsuhachimangu.org
御祭神:玉依比売命・品陀和気命(応神天皇)
・息長足姫命(神功皇后)
相殿神:伊弉諾尊・伊弉冉尊
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浜松八幡宮は市中心付近にありながら多くの樹木が繁茂する
鎮守の森に鎮座し、氏子崇敬者からは「八幡さま」と
親しみをこめて呼ばれています。
仁徳天皇の御代、遠津淡海の鎮静のため、海運の神として
知られる玉依比売命をお祀りしたと伝わり、平安時代の神社を
所載した延喜式には許部神社と記されています。
当時は許部の里(南区小沢渡町付近)にお祀りされて
おりましたが、天慶元年(938)、神託によって現在の地へと遷座
されたと伝えられ、永承6年(1051)には源義家公(八幡太郎)
により八幡二柱の神が勧請され、多くの武家庶民の崇敬を
集めました。中でも徳川家康公は浜松入城以来、武家の守護神・
浜松城鬼門鎮守、鬼門降伏の氏神として当宮を信仰し、
開運招福・武運長久を祈って度々参拝したといわれます。
---------------(浜松八幡宮 公式サイトより)
お稲荷さんの赤い鳥居が見えます。

この鳥居をくぐり向かって左手が末社の『浜松稲荷神社』。
向かって右手が摂社の『東照宮』です。
境内社の説明についてはこちらを参考にどうぞ。
http://www.hamamatsuhachimangu.org/guide/


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