去年訪れた時の記録です。
浜松市中区にある『浜松秋葉神社』へ参拝してきました。

この地は「井伊の赤備え」発祥の地だそうです。

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天正十年(1582)、織田信長と徳川家康の連合軍が甲斐の
武田勝頼を滅ぼしました。家康は三方ヶ原の戦い以来、信玄・
勝頼二代の武田軍の勇猛ぶりをよく記憶しており、勝頼についた
遺臣たちの多くを赦免して、自らの家臣団に取り込みました。
この時、八百名を越す旧家臣が「これからは家康殿に従います」
と誓った起請文が、ここ浜松秋葉神社に奉納されました。
家康は、なかでも当時最強と言われた騎馬軍団のほとんどを若干
二十三歳の井伊直政に与えます。これより、直政は武田軍の象徴
だった「赤備え」を継承し、「井伊の赤備え」が誕生しました。
直政は、「赤備え」を率いて天正十二年(1584)の小牧・
長久手の戦い以降、次々と大きな功績を上げていきました。
当神社に奉納された起請文は、戦火で失われましたが、
家康が亡くなって四百年という節目の年にあたる平成二十七年
(2015)十二月の例大祭において、国立公文書館に残されて
いた写しをもとに、再び誓詞(起請文)が奉納され、徳川家・
武田家・井伊家の御三家のご当主がご参拝されています。
--------------(浜松秋葉神社 境内案内板より)
境内をお掃除されていた御婦人が居ましたが、
多分そのかたが作られたと思われる落ち葉のハート。
カワエエですな。

さて、参拝しましょうか。

浜松秋葉神社
http://hamamatsu-akiha.wixsite.com/akihajinnja
御祭神:迦具土神・外十七柱
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徳川家康公、永禄十三年(1570)
浜松城入城の際、北遠の霊山秋葉山より勧請。
浜松城近くの丘陵の上、家臣奥平信昌の屋敷に建立。
ご朱印を付せられるとともに、敷知、浜名、引佐、磐田、豊田、
山名、城東の七郡(現在の御前崎市から湖西市まで)の広さを
檀下場として年々二季神札の配札を為し金穀募集を許可せらる。
慶応三年(1867)正一位の神階を賜る。
古くから、毎年一月二十八日は、神札や正月飾りなどを納める
焼納祭、農作物の吉凶を占う菅粥祭が執り行われ、県内外からの
参拝客で賑わう。
--------------(浜松秋葉神社 境内案内板より)
浜松城のそばに井伊家ゆかりの地。
そして徳川家康公が浜松城に入城の際に建立した浜松秋葉神社。
日本人ならば、この歴史ある神社と歴史ある土地を大事に
していかなければいけませんね。
↓関連してついでにこちらも。
【拡散ご自由に】
大変だっ!浜松市が歴史的に価値のあるこの土地を、
住民の意思を無視して売却しようとしているぞ!
酷いよね。浜松市はこの土地から歴史を消そうとしているの?
http://hamamatsu-akiha.wixsite.com/akihajinnja/shomei
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