去年参拝した記録です。
さて、『伊井谷宮』にやって参りました。
ここは浜松市北区の伊井谷にある神社でございます。




参道をまっすぐ進んで鳥居と門をくぐると、拝殿は目の前に。
拝殿に向かって右手に見えるのは御神木です。


伊井谷宮
http://www.iinoyaguu.or.jp
御祭神:一品中務卿宗良親王 一座
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御祭神宗良親王(後醍醐天皇第四皇子・宮内庁調)は今より約
六百五十年前の南北朝時代に一品中務卿征東将軍として、この地
を本拠に五十余年の間、吉野朝のために御活躍になられました。
その間遠江 駿河 三河 甲斐 信濃 越後 上野 美濃等に軍を進められ、
信濃宮・上野宮・越中宮と尊称され、晩年再びこの地を尋ねられ
元中二年八月十日御年七十三歳にて薨去せられました。
御墓は本殿背後に西に向ってたてられており、
宮内庁所管地であります。
明治元年明治天皇より当宮創立の勅旨が仰出され同五年二月
十二日御鎮座、同六年六月九日勅裁を以って官幣中社に列せられ
ました。親王は武のみならず和歌に秀で、その苦難な御生涯の中
であっても和歌「李花集」をのこされ又、準勅選和歌集「新葉
和歌集」の編纂など文化の面でも御功績をのこされました。
親王のどんな逆境に陥っても不撓不屈初志を貫き、
希望を捨てずひたすら正義のために一生を捧げられた御精神、
御遺徳は多くの人達に慕われ学問・心願成就・開運の神と信仰
され尊ばれております。
----------------(伊井谷宮 境内案内板より)
こちらは御本殿のすぐ脇に鎮座する『井伊社』。

井伊社(摂社)
http://www.iinoyaguu.or.jp/keidai/iisya/
御祭神:井伊介道政・井伊新介高顕
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動乱の南北朝時代(西暦1330〜1390年頃)当時の有力豪族
であり井伊直虎のご先祖に当たる井伊道政公とその息子高顕公は、
井伊谷に来訪された宗良親王様を奉じて尽力しただけでなく、
親王様と駿河姫(道政公の娘、重子姫)との間に尹良親王を
授かるなど、吉野朝(南朝)と非常に深い関わりを持ちました。
その縁と井伊谷宮御鎮座に関わる井伊家の多大なる功績により、
明治八年井伊道政公・高顕公を御祭神として「井伊社」が創建
されました。
----------------(伊井谷宮 境内案内板より)
境内を奥に進んで行きますと、宗良親王の御墓がございます。


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宗良親王 御墓
明治に入って間も無く、明治天皇は全国の御陵墓が荒廃著しい
事を憂い、その修理整備をお命じになられました。
それと共に王政復古の象徴として吉野朝(南朝)方を支えた
貢献者を祀る神社を創建するよう勅命を下されました。
これに伴い、後醍醐天皇皇子宗良親王薨去の後、およそ五百年
に亘り代々その菩提を弔ってきた井伊家の当主、井伊中将直憲
(彦根藩最後の藩主)が、親王を御祭神とする井伊谷宮の創建と
親王御墓の修繕を願い出たところ、井伊家の祖道政公と親王との
特別な由緒をもって許可され、いずれもほぼ井伊家の負担にて
なされました。
このようにかつて井伊直虎を輩出した井伊家は井伊谷宮とも
深い関わりをもっています。
----------------(伊井谷宮 境内案内板より)
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