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2014年01月21日 (火) | 編集 |
旦那:「じゃ、次は小田原攻め行こうかww」

あ、小田原城へ行くのね。
って事で続いては小田原城へ足を運びます。
時間的に夕方だけれど大丈夫だろうかと思いつつ。

小田原城

http://www.city.odawara.kanagawa.jp/kanko/odawaracastle/

さて、到着しました小田原城〜♪
実を言うと今まで一度も来たことがなかった。
門からの写真は取り忘れてしまったけれど、見事な枝ぶりの
桜の木があったので、きっと春に来たらさぞ綺麗だろうなぁ…
と思いました。暖かくなったらまた行こう。

小田原城20140119_01_seruna

旦那:「特にこれと言った思い入れがないから感想は無いなw」
SERUNA:「うん、まぁ北条氏にも思い入れは無いしw」

他の城と比べてしまったら可哀想な気もしますが、
私ゃこういった歴史に関しては超がつくほどド素人なレベル
ですので見た目で綺麗とか凄いとしか言いようが無い。
城マニアでも無いですからね… orz
でもこれだけは言える。

お城がある所っていいなww

静岡も作ってくれないかしら、駿府城。
あ、設計図や史料が無いから無理なんでしたっけ?
適当に作られても嫌ですから、どこかからポロっと大発見で
設計図なり史料なり出てこないだろうか…なんてね。
いいなぁ、お城のある観光地は。



さて、小田原城。
鎌倉時代からあると言われているものの
ハッキリとしたことはわかっていないようです。

(※現在の天守閣は昭和35年に復元されたもの)

三代目当主 北條氏康〜四代目当主 氏政の代にかけ、
関東は北條・上杉・武田の3氏で争う事となり、
永禄4年(1561)には長尾景虎(後の上杉謙信)が総勢11万の
大軍で小田原城に押し寄せていきます。永禄12年(1569)に
今度は武田信玄が押し寄せ、幸田門からの進入を許してしまい、
二の丸付近まで攻め込まれるものの、どちらの進行もはね退けて
難攻不落の名を天下にしらしめたと言います。

その後、小田原北条氏は終焉の時を迎えるのです。

天正15年(1587)、豊臣秀吉が天下をほぼ手中に収め
秀吉の圧力は北條氏に迫っていきます。小田原城は秀吉の来攻に
備えて城の外郭を城下町まで拡大。その全長は何9km!
秀吉は全国の諸将を率いる約18万の軍勢で城を完全に包囲するも
落とせなかったため、小田原城を見下ろす早川の石垣山に一夜城
を築きました。これには流石にビビる北条氏w


小田原合戦
http://www.city.odawara.kanagawa.jp/kanko/corridor/battle/p10012.html
リンク先の陣形を見て欲しい。自分がもしも北条氏の立場で
あるならば、即ゴメンなさいするレベルですw
だって、陸から海から四方八方を囲まれたら後がないでしょw

「難攻不落の城」と言われた小田原城は持久戦になるのですが、
結局、北条側が降伏するという形で秀吉に落とされてしまう
事となるのです。


※資料を見ながら文章を組み立てているので、
間違いがあったら指摘して欲しい。

…それにしても、ここまで囲まれてプレッシャーは
ハンパなかっただろうなぁw



え、お城の中へ入場はしなかったのかって?
残念ながらここに来た時点で時間がもう無かったのです。
もっと早い時間に来れば城の中をじっくり見学出来たけれど…
それはまた次の機会にとっておきましょう。


★報徳二宮神社レポに続く。
http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-23.html
小田原城グルメな話はこちら。
http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-22.html
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