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定食屋さんに訪れるような感覚で見てもらえたら嬉しいです。中身は趣味のネタ色々。ヲタクなネタから神社めぐりまでw
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2018年04月29日 (日) | 編集 |
2017.12,24 探訪 
去年訪れた時の記録です。
御前崎市にある『左馬武神社』へやって参りました。

20171224_samatake_001.jpg

ちなみに周りは茶畑です。
静岡らしい良い景色でしょ?

20171224_samatake_002.jpg

左馬武神社に向かい、後ろを振り返ると山があるのですが…

20171224_samatake_003.jpg

『舟ヶ谷の城山』というらしいです。

20171224_samatake_004.jpg

それは置いといて…お参りに行きましょう。

20171224_samatake_005.jpg

ずいずいっと階段を上がっていき…

20171224_samatake_006.jpg

右に曲がり更に少し上へ。

20171224_samatake_007.jpg

登り切ると目の前に小さなお社があります。
これが『左馬武神社』です。左馬助公の墓石(五輪塔)と一緒に
鎮座しております。

20171224_samatake_008.jpg

左馬武神社
https://www.city.omaezaki.shizuoka.jp/soshiki/shokokanko/kankospot/samatakejinjya.html
御祭神:新野左馬助公
-----------------------------
新野左馬助親矩の墓 
 新野親矩は今川氏の一族で、遠江国新野の領主、左馬助と
称した。永禄七年(1564)今川氏真にに背いた引馬城主飯尾
連竜を攻めたとき戦死した。
 親矩の妹は井伊直盛の妻となっている。そのため永禄五年
(1562)井伊直親が氏真に謀反の疑いをかけられ殺されたとき、
親矩とその妻が直親の遺子万千代(後の徳川四天王の一人
井伊直政)をかくまい、養育したことは有名である。
 幕末の大老井伊直弼は、家来に親矩の墓を訪ねさせ、
また自ら弔祭しようとしたが桜田門外の変(1860)に倒れ。
叶えることができなかったという。


---------------(左馬武神社 境内案内板より)

20171224_samatake_009.jpg

20171224_samatake_010.jpg

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五輪塔(新野左馬助公墓)
 新野村の領主であった新野左馬助親矩の墓石と伝わる五輪塔
です。
新野村誌によると、「古来、山の中腹に墳墓の地と称するあり。
人これに触れれば祟ると。人を雇いてあまねくこれを発掘するに
石棺あり。紋所は丸に竪中黒にしてこれぞすなわち新野氏の紋所
なり。石棺内に五輪の塔あり。」と伝えられています。
 この五輪塔の部材は地輪がなく、空風輪が1つ、水輪が2つしか
ありません。しかし、火輪が3つあることから元は3基あったと
考えられます。向かって左側の五輪塔は、火輪と水輪のセットに
別基の空風輪をのせ、地輪を復元してあります。また、石廟の
破片が残されていますが、造立年代については不明です。

---------------(左馬武神社 境内案内板より)

20171224_samatake_011.jpg

20171224_samatake_012.jpg

最後、神社からの景色です。

20171224_samatake_013.jpg

20171224_samatake_014.jpg

県内住みですが、ここの神社は初めて知りました。
静岡県西部には井伊家ゆかりの地が沢山あるんですね。
神社や史跡をまわるのは凄く楽しいです。
皆さんもいかがでしょう♪ ( ^ω^ )


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