→ http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-2171.html
門の中に入りましたよ。
浜松城ちっちゃ!と思うかもですが、
昔はこれより大きかったと考えられているようです。

浜松城跡
http://www.entetsuassist-dms.com/hamamatsu-jyo/
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浜松城は徳川家康が遠州攻略の拠点として築いた城で、
元亀元年(1570)六月に入城し、十七年間滞在した。東西600m、
南北650mの規模で、南の東海道に大手門が開き、東から西へ
三之丸、二之丸、本丸、天守台と連なり、順次高さを増す。
ここは、その天守曲輪の跡である。家康の後、城主は代々譜代の
大名が勤め、在城中に老中まで栄進した人が多い。
中でも水野越前守忠邦の名はよく知られている。
石垣は、野づら積みと呼ばれる強固な作りで、古い石垣の特徴を
よく残しており、浜松市の史跡に指定されている。
-------------------(浜松城 案内板より)
野づら積みについての図説。

天守台。

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浜松城天守台は、一辺21mのややいびつな四角形をしていて、
西側に八幡台と呼ばれる突出部が付いている。また東側には、
付櫓と呼ばれる張り出し部分があり、現在は復興天守閣への入口
として利用されている。
浜松城の天守は第二代城主堀尾吉晴の在城期(1590年頃)に
築かれた説が有力だが、17世紀の絵図には天守が書かれていない
事から、江戸時代前期には天守が失われていたと考えられている。
昭和33年に作られた現在の復興天守閣は、天守台の大きさと比べ
ると小さいものである。
かつての浜松城は、築城時期等から大きな屋根を持つ下層部の
上に小さな望楼が載せられる「望楼型」であった説が有力である。
その規模は天守台の大きさから推測すると現在よりも一回り
大きい三重四階で、巨大な天守だったと考えられる。
-------------------(浜松城 案内板より)


「ん?土が盛ってあるぞ」と思ったら……

発掘調査の真っ最中でした。
「浜松城発掘通信」が読めるリンクを貼っておきます。
https://sitereports.nabunken.go.jp/ja/search?all=浜松城



こちらは井戸。
発掘調査をされている方々の荷物が…w

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この井戸は、銀明水と呼ばれていたという。
浜松城には、天守台に一つ、天守曲輪の埋門のそばに一つ、
本丸に一つ、二の丸に三つ、作左曲輪に四つ、計十本の井戸が
あったという。
天守台の井戸は、再建の時に残し、今は天守閣の地下にある。
直径1.3m、深さは現在1mほどになっており水はない。
-------------------(浜松城 案内板より)
★その3に続く!(次は城内に入りますよ)
→ http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-2173.html
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