浜松市北区にある龍潭寺。
今年の二月に訪れた時の記録です。
以前、龍潭寺を探訪した時の記事(寺の外側を撮影)はこちら。
http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-2097.html
今回は、前回入らなかったお堂の中へ入場してみました。


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井の国と井伊氏発祥の地
ここ遠州井伊谷は古代「井の国」と呼ばれていました。
清らかな水が豊かに湧き出る土地でした。井伊谷川、神宮寺川が
交差する両岸の段丘には、縄文・弥生・古墳時代より中世に至る
古代人の遺跡が数多く残されています。
古墳時代四世紀半ばには北岡大塚古墳(前方後円墳)が造られ、
続いて馬場平古墳、谷津古墳が造られます。
古代井の国には井の国の大王が住んでいたことを物語っています。
この井の国より井伊氏の元祖共保公が誕生しました。
共保公は七歳の時、遠江守として村櫛志津城に着任していた藤原
共資の養子となります。後に古里井伊谷に戻り、城山の麓に居館
を築き井伊氏を名乗ります。
平安時代には「井の八郎」鎌倉時代・南北朝時代には「井伊助」
の名が日本史上に登場します。このように井の国より発症した
井伊氏は、遠江の代表的な国人領主(在地領主)として、
井伊谷に六百年の歴史を刻んできました。
戦国時代、二十四代直政が徳川家康に仕え、徳川四天王の一人
として大活躍し、彦根の地に出世します。
龍潭寺はこの名門井伊氏千年の歴史を伝える菩提寺であり
湖北の地はまさに歴史の宝庫であります。
-----------------(龍潭寺 境内案内板より)

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井伊家・宗良親王 菩提寺 萬松山 龍潭寺
当寺の歴史は古く、天平五年(733)行基菩薩開創八幡山
地蔵寺に始まると伝えられています。寺の南に井伊氏祖共保公
出生の伝説を残す八幡宮御手洗の井戸があります。
この寺域はもと井伊八幡宮の境内でしたが、五百年前井伊氏が
この地に龍泰寺(現龍潭寺)を造営しました。
龍潭寺は井伊城南の守り砦の役目を果たしてきた歴史があり
ます。この参道石垣などに小規模ながら城郭造りの跡が残されて
います。
朱印地であった境内地二万四千坪は、明治政府が没収、
その後一万余坪が返還されました。龍潭寺の森は日本の森百選に
選ばれています。この森に包まれ点在する龍潭寺伽藍は、
江戸時代建立の貴重な文化財で長い歴史をひめてよく保存され
今日に至っています。
-----------------(龍潭寺 境内案内板より)
※共保公出生の井戸の記事 過去ログはこちら。
http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-2104.html
ピンボケすいません。お堂の中にお邪魔致しましょう。

廊下は鶯張りになっていて、キュキュッと可愛い音が…
鶯張りの廊下、大好きです♪ (´∀`*)

こちらは『丈六の釈迦牟尼佛』。
上の写真の廊下、すぐ右手に鎮座しております。

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この仏さまは遠州地方第一の大仏さま、丈六仏です。
丈六とは一丈六尺(五米)の寸法を言いますが、お座りですから
三米ほどの高さです。享保十四年(1729)雲長作の寄木造り
釈迦牟尼佛坐像です。
静かに己の心を深く見つめておられる、坐禅のお姿の仏さまです。
この仏さまのお体には、黒い落書きの跡が付いています。
明治初年に起こった廃仏毀釈(仏教を排斥しお寺をこわす)の
動乱の傷跡です。本堂前にあった大仏殿が壊された時、
近所の子供たちがこの仏さまに登り、金箔をこすった跡です。
廃仏毀釈という歴史の生き証人といえる仏さまです。
-----------------(龍潭寺 境内案内板より)
…明治期の廃仏毀釈ってのが、どの程度のものだったかは
その時代の人間じゃないとわからんのは当然ですが、
この大仏様の姿を見ると随分激しいな。
ゴシゴシ擦って眉毛みたのなの書かれちゃってるよ。

廃仏毀釈に関する話は色々書くと、メンドくさい人たちが
来そうなのでスルーしておこうっと。
★その2に続く!
→ http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-2182.html
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