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2018年07月04日 (水) | 編集 |
公園内とお城の写真が見たい人はこちらから読んでください。
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2018.2.15 参拝 
岡崎城本丸に鎮座する『龍城神社』です。
(社殿はお城のすぐ隣にあります)

20180214_tatukijinjya_001.jpg

そんなに大きくは無いですけどね。

20180214_tatukijinjya_002.jpg

龍城神社
http://home1.catvmics.ne.jp/~tatuki/
御祭神/徳川家康公・本多忠勝朝臣・天神地祇・護国英霊
-----------------------------
 往昔、三河の守護代西郷弾正ェ門稠頼が此の地に築城成る日、
何処ともなく柳の五ッ衣に紅の袴をつけた気高い乙女が天守に
現われ、「われはこれ歳久しく此の処に住む龍神なり、汝われを
鎮守の神と崇め祀らば永く此の城を守護し繁栄不易たらしめん」
と、おりしも城中の井水噴き出で、高く天に沖し飛瀑の如く龍神
に注ぎ、一群の黒雲舞い下りて天守を包むと見るまに龍神の姿は
忽ち消えうせた。此の不思議に城主おどろき、天守楼上に龍神を
祀って城地鎮守と崇め永く加護を祈り、城の名を龍ヶ城、
井の名を龍の井と称えしと云う。

 天文十一年十二月二十六日、後の征夷大将軍徳川家康公、
幼名竹千代君此の城に産声をあげ給う。
この英雄児の生まれ出づるを待つが如く、城楼の上に雲を呼び
風を招く金鱗の龍を見たりと云う。今に龍神の井、産湯の井、
東照公胞衣塚を存する。

 東照公戦乱の世を鎮め天下を統一し、万民和楽の大業を達成
して世を去り給う。その偉業を称え、城内に東照宮を奉祀した。

 後に本多忠勝公を合祀し、大正三年県社に昇格、
神饌幣帛料供進神社に指定せされ、岡崎市の中心神社として
崇敬せられた。昭和三十七年社殿再建の議成り、広く崇敬者の
浄財を得、また日光東照宮より神木の寄進を受け、社殿を竣成。
天神地祇、全市旧領の護国の英雄を配祀した。
 諸人の尊崇益々厚く諸願成就、開運守護の霊験いやちこな
大社である。

----------------(龍城神社 公式サイトより)

この戦争記念碑は「忠義護邦家」碑
日露戦争直後の1906年に建立されたそうだ。
忠義護邦家碑の前には明治39年(1906)2月に献納された灯籠。

20180214_tatukijinjya_003.jpg

その他、神社や忠義護邦家碑に関する詳しい話は
下記リンク先の資料(pdf)を参考にしてみてください。
https://repository.nabunken.go.jp/dspace/bitstream/11177/6595/1/BB25180515_015_022.pdf


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