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石段を登ってこちらは「隋神門」。
門の中に「左大臣(群馬側)」「右大臣(長野側)」
が鎮座していたが、現在は左大臣のみとなっているようです。

隋神門のそばに置いてあるのは「峠の石の風車」。

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峠の石の風車
元禄元年(1688)建立
軽井沢問屋佐藤市右衛門及び、代官佐藤平八郎の両人が
二世案楽祈願のため、当社正面石だたみを明暦三年(1657)
築造した。その記念に、佐藤家の紋章源氏車を刻んで奉納した
ものである。
秋から冬にかけて吹く風の強いところから中山道往来の旅人が
石の風車として親しみ
「碓氷峠のあの風車 たれを待つやらくるくると」
と追分節にうたわれて有名になった。
--------------(熊野皇大神社 境内案内板より)
隋神門から見えるのが県境に鎮座している本宮、
「熊野皇大神社」です。

足元を見ると…

本宮に向かって左側が長野県。右側が群馬県。
こういう所に来ると小学生なんかは、県境を行ったり来たりして
喜んだりするよね。「いま長野!今度は群馬!また戻って長野!」
とか言ったりなんかしてw

向かって正面は「熊野皇大神社(本宮)」。
その右手にあるのが「熊野神社(新宮)」。
本宮の左手側にあるのが「那智宮」。

本宮から右に視線を移すと…
新宮の前にある建物は、群馬県側の「神楽殿」。
熊野神社の御祈祷はここで行われています。

今度は本宮から左に視線を移すと…
那智宮の前にある建物は、長野県側の「御祈祷殿・神楽殿」。
熊野皇大神社の御祈祷はここで行われています。

本宮をお参りした後、群馬県側からぐるっと境内を散策。
まずは「熊野神社(新宮)」。

拝殿の中にある「熊野神社の古鐘」。


「イチイの御神木」。

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一位(櫟)の御神木
「熊野権現御垂迹縁起」に縁れば、熊野の神は熊野本宮大斎原
の三本の櫟の木に天降られました。この巨木は正に熊野の神の木
に相応しく、明日を生きる力を与えてくれます。
--------------(熊野皇大神社 境内案内板より)
日本武尊「吾嬬者耶(あづまはや)」詠嘆の地(日本書紀より)
とありますね。考えてみると、走水の海に入水したオトタチバナ
を思い出して「ああ、我が妻よ」と嘆いたにしては、
東京湾はココからかなり遠いんですよね。


日本書紀ではこちらの峠で「あづまはや」と言われたとされて
いますけれども、古事記の方では神奈川県と静岡県の県境にある
足柄峠あたりで嘆いたとされています(東征後、彼の帰路ルート
は他にも埼玉県の秩父から雁坂峠を通り山梨の方へ抜ける物も
あるんですよね)。
(=゚ω゚)「古事記と日本書紀で場所が異なっているよね」
この辺は双方の地元民とで「これ絶対ウチのエピソードだよ」
「いやいや、その話はそっちじゃなくてウチの地方でしょ」って
バトルが始まりそうではありますが「本当はどちらで嘆いたか」
と考えるのは野暮なのでやめておきましょう。(^ω^;)

★その3に続くよ!
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