『盛岡八幡宮』にやって参りました。
盛岡市にやって来たので、まずはこの土地の神様にご挨拶。
※お隣に岩手護国神社がありましたが、そちらは時間の都合で参拝しませんでした。



盛岡市指定文化財の「青銅灯籠」。

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この灯籠は、城下の町人達が盛岡八幡宮に奉納したもので、
盛岡藩御用職人、藤田家五代目 藤田善兵衛秀彰と弟、善蔵情有
によって、文化九年(1812)に造られた。
上部から宝珠・笠・火袋・中台・竿・基礎・基壇で構成され、
青銅製の部分は三分割できるようになっている。
笠は円形で蕨手状の反りのある稜線で六区分され、火袋に鳳凰・
桐花文透・中台は左右一対で子・丑・寅等の十二支で鋳出し、
基礎には牡丹・唐獅子・銘文を陽鋳している。
盛岡藩第十一代藩主 南部利敬が八幡宮から「札の辻」
(現在の岩手銀行中ノ橋支店付近)に移動させ、「八幡宮」の
文字を削り取ってしまったが、その後氏子達の尽力により
境内に戻された。
-----------(盛岡八幡宮 境内案内板より一部抜粋)
こちらは「手水舎」。

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水堀石について
明治天皇 明治九年奥羽巡幸の際に御休処を奉仕した日詰の
金子七郎兵ヱ邸にあった、水堀石を御目に留めさせられ、
由来を御下問遊ばされました。
この水堀石を同年七月七日、明治天皇が当宮境内に於いて
南部駒を御覧遊ばされた記念として、明治二十一年八幡町の
篤志者献納されたものである。
-----------------(盛岡八幡宮 案内板より)
さて、鳥居をくぐって参道を歩いてきたワケですけれど、
ここに来て、こんな立て札を見つけました。

答えはこちら。

ほんの一部ですが…あとは皆さんが現地に訪れ、
十二支全部自力で探してみましょう。



こちらは「高倍神社」。

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昭和五十四年九月五日 創建
御祭神:磐鹿六雁命、四條山陰中納言藤原政朝卿
磐鹿六雁命は、第十二代景行天皇より膳大伴部の姓を賜ると共に
膳臣(天皇の料理番)に任ぜられ、宮中の食礼法の源を築いた。
四條山陰中納言藤原政朝卿は、第五十八代光孝天皇の
「食に関しても式によって現すように」との勅命により、
庖丁式の礼法「庖丁の割」を創案し、その源となった。
生活に欠くことのできない食膳調理技術に霊験あらたかな二柱の
大神は調理を生業とする人々の守りを導く神として崇敬される
関東以北唯一の社である。
-----------------(盛岡八幡宮 案内板より)
高倍神社の横には庖丁塚があります。

★その2に続くよ!
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