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「弘法大師像」。

「石刻 五百羅漢」。
申し込みすれば自分そっくりな像を作ってくれるらしいですよ。
一体作るのに幾らするんだろう。高そうだな…

こちらは「大御堂」。
外は良いですが、内部は国宝級の仏像があるので撮影禁止です。
中が見たい人は拝観料を払ってから見ましょう。
寺宝についての詳細は、公式サイトをご覧になってください。
https://ganjoujuin.jp/temple_treasures.html

高野山真言宗 天守君山 願成就院
https://ganjoujuin.jp/
御本尊:阿弥陀如来
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願成就院略縁起
当山は、山号を天守君山と称し、阿彌陀如来を本尊とする
高野山真言宗の寺である。
創建は、鎌倉時代初頭の文治五年(1189)に遡る。
この地で源氏再興の旗揚げをし、鎌倉幕府を開いた源頼朝公の
奥州藤原氏征討の戦勝を祈願して、幕府初代執権北條時政公が
建立し「願成就院」と称したことに始まる。
幕府の亊蹟を伝える「吾妻鏡」には、時政公が大御堂と南塔を
建立し、二代執権北條義時公が亡き父時政公の供養として
南新御堂を建立、三代執権北條泰時公が北條御堂と北塔を建立
したことが記されており、堂塔伽藍の営作は北條氏三代に
わたる。貞應元年(1222)には、「定額寺」(官寺)とする
宣旨が朝廷より下されており、この地に、守山を借景として、
中之島のある池を配した「浄土様式」の壮大な寺院が、
北條氏の氏として造営されていたのである。
数回の発掘調査でその遺構が概ね明らかになり、昭和四十八年
境内を中心に周辺一部地域を含めて「願成就院跡」として
国指定史跡となる。
------------------------(↓続く)

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鎌倉時代の伽藍は、十五世紀末、伊勢新九郎長氏(後の北條早雲)
の堀越御所(北條時政館跡)攻めの兵火で焼失するが、創建時に
祀られた大仏師運慶謹作の五仏を中心とすろ七体の仏像と、
仏像胎内造像銘札四枚は、奇跡的にも今日に伝えられており、
この尊き御仏様を拝観すると、幕府最大の権力者北條氏とこの寺
の盛時を偲ぶことができよう。
本尊阿乎彌陀如来・不動明王・矜羯羅童子・制吒加童子・
毘沙門天の5体の仏像は、文二二年(1186)の造像で、
運慶三十代半ばの謹作、日本彫刻史上、運慶様式の成立を考える
上で大きな意義を有する尊像とされ、造像銘札四枚と共に
重要文化財の指定を受ける。本堂(茅葺き御堂)本尊阿彌陀如来、
宝物館に祀る北條政子尼七回忌供養地蔵菩薩両像も、
十三世紀前期の慶派正統仏師による秀作とされ、県指定文化財
である。
境内には、北條時政公と足利茶々丸公(堀越御所二代公方)
の墓所があり、両公の菩提寺である。
運慶作五仏、胎内銘札四枚は平成二十五年に国宝に指定される。
天守君山 願成就院山主
-----------------(願成就院 案内石碑より)
大御堂に祀られた仏像を見ていた時に「運慶ハゴ存ジデスカ?」
と外人さんが説明に来られたので、えっ?えっ?と思ったら、
ゆくゆくはこのお寺を継ぐかもしれないイギリス人のかた。
住職の娘さんのお婿さんだそうで、お寺の歴史から運慶作の仏像
のことまで、丁寧に色々と説明をして下さいましたよ。
※茅葺屋根の本堂はウッカリ写真を撮り忘れ。(´・ω・`)
さて、国宝の仏像を拝み、宝物館を見学して出て参りました。
五百羅漢もズラリと並んでいます。


酔いそうな角度の写真ですまぬ。

「足利茶々丸公方墓」。

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室町幕府八代将軍の足利義政の兄・足利政知が、
将軍の命を受けて関東を治めるために鎌倉に派遣されるが、
鎌倉まで進出できず、北條時政の館跡の伊豆国北條の堀越に留まり
堀越公方と称しました。父政知の没後、二代目公方に就いたのが
茶々丸公であります。継承時に起きた相続争いの混乱に乗じて、
1493年に伊勢新九郎盛国(のちの北條早雲)の侵攻を受けて滅亡
しました。茶々丸公若干16歳でありました。
当山が茶々丸公の菩提寺であります。
----------------(願成就院 公式サイトより)
お寺の池。

静岡県内に運慶の仏像が五体もあるお寺ってのはなかなか貴重。
願成就院の近くには「北条政子産湯の井戸」もあるそうですが、
そちらは気付かずにスルーしてしまいました。
皆さんもいかがでしょう。
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