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教室に入ってみましょう。たくさん写真を撮りましたが、
全部載せるのは大変なので幾つか厳選して…もっと見たい人は、
是非磐田市まで来て、その目で直接確かめて下さい。

おや?教室の前の席に誰か居ますね。
…って実はこれ、先生も生徒もマネキンです。


「天長節」について教えている教科書。
今の学校はこういう事は一切教えてくれないんだよな。
私の世代も、母の世代も、戦後の教育って本当にダメだなー。

生徒:「この日はどこの家でも、国旗を出してお祝いをします。
学校では、天皇陛下と皇后陛下とのお写真を拝んで、
お祝いの唱歌を歌います」
先生:「はいそこまで。じゃあ次、前出て読んで」
…こんな感じで授業をしていたんでしょうね。


【昔の教科書たち】




二階に行きましょう。

ここにもマネキンがありますよ。寒い冬の設定でしょうか。
お家の中で、火鉢を出して勉強をしている男の子です。
そばで見ている猫ちゃんが可愛いッスな。



こちらは姉弟設定で、こんな物語が。
セリフは方言なので翻訳を交えつつ解説しよう。

弟:「待って、お姉ちゃ」
(待って、お姉ちゃん)
姉:「早くぅー、学校におくれるじゃんかぁ」
(早くぅー、学校に遅れるじゃないの)
弟:「鼻緒が切れそうで、早く歩けんもん」
(鼻緒が切れそうで、早く歩けないんだもの)
姉:「見せてぇ。…お姉ちゃん直してやるで、ベソかくな」
(見せて。…お姉ちゃんが直してあげるから、泣いちゃダメ)

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子供たちの服装
明治時代は洋服を着る子はほとんどいませんでした。
大正時代になると学生服を着る男はいましたが、
男女とも着物(かすり)が中心でした。
絣(かすり)の着物
絣は、明治から昭和前期まで普段着や野良着として
使われました。江戸時代末には各地で織られ、値段も安く
せんたくにも強く大変丈夫な織物で一生使えるほどでした。
-----------------(旧見付学校 案内文より)
教育勅語。

さて問題です。これは一体何でしょう?

正解は、天皇皇后両陛下の「御真影(肖像写真)」を入れておく
ためのものでございます。学校に置かれていたものらしいですが、
見ての通り、かなり大きなサイズでした。

「王様クレヨン」。
クレィヨンという書きかた初めて見た。

三階にあがりますよー。

★その3に続く!
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