某SNSがもうじきなくなるという事で、行った場所をメモ。
下の写真は鳥取県の「大神山神社 奥宮」。

2011.1/鹿島神宮
2011.5 /伊勢神宮(外宮・内宮)、猿田彦神社、月讀宮、
子安神社、大山祗神社、二見興玉神社、松下社
2011.6.11/出雲大社、稲佐の浜、古代出雲歴史博物館、
須佐神社、御井神社
行けなかった場所:「出雲大社北島国造館」「日御碕神社」
2011.6.12/須我神社、八重垣神社、神魂神社、
熊野大社(松江市)、神納峠(岩坂陵墓参考地)、
熊野大社(松江市)、黄泉比良坂、揖夜神社
行けなかった場所:「比婆山山頂 イザナミ陵」
2011.6.13/美保神社、地蔵崎、粟嶋神社、宗形神社(鳥取)、
赤猪岩神社、楽楽福神社
2011.7.2/諏訪神社 上社 本宮、上社 前宮、
下社 春宮、下社 秋宮
2011.7.9/秋葉山本宮 秋葉神社
2011.7下旬/
(鳥取1日目)大神山神社 奥宮、妻木壹宮神社、
唐王神社、波波伎神社、倭文神社、三仏寺(投入堂)
妻木壹宮神社:下光比売と天若日子が一緒に暮らしていた場所。
大山は『孝霊山』に遮られて見る事が出来ない。
唐王神社:スセリ姫が亡くなった地。
波波伎神社:事代主は国譲りの後に福場の地にやってきて、
神社の山に繋がる谷に隠れ住み、そこで亡くなった。
「波波伎=伯耆」
倭文神社:下光比売は国譲りのあと、身の回りの世話をする
三家族と共に海路でやってきてこの地で亡くなった。
(鳥取2日目)長尾鼻 血止めが池、白兎神社、白兎海岸、
天穂日命神社(鳥取市福井361)、売沼神社、
河原城(若鮎城)
天穂日命神社はとてもわかりづらい場所にある。
売沼神社周辺には「倭文」「布袋」「袋河原」「円通寺」など
八上姫と大国主に因んだ地名が付けられている場所が。
2011.7下旬/中嶋神社(兵庫県)
2011.8.15/静岡縣護國神社
2011.8.20/春日大社、垂仁天皇陵、石上神宮、箸墓古墳、
大神神社、八咫烏神社
2011.8.22/『橿原神宮、神武天皇稜、雷丘、飛鳥坐神社、
マラ石(飛鳥歴史公園)、日本武尊白鳥稜、葛城一言主神社
行けなかった場所:「甘樫坐神社(アマカシニイマス神社)」
※日本武尊白鳥稜(御所市冨田):日本書紀ルート。
白鳥になった尊が大和の琴弾原に降り立ったと言われる場所。
2011.8.26/富士山本宮浅間大社、三嶋大社
2011.8.27/玉取明神(藤枝市岡部町)、大鈩不動尊、日本平
2011.9.10/事任八幡宮、小國神社
2011.9.11/久能山東照宮
2011.924/登呂遺跡
2011.9.29/伊豆の神社へ(名前失念)
2011.10.29/(滋賀・岐阜)
建部大社、日吉大社、多賀大社、
加茂神社(滋賀・居醒の清水)、泉神社(泉神社湧水) 、
関が原合戦場跡地(石田三成 陣跡)、関ヶ原古戦場 決戦地
2011.12.17/(愛知)
御手洗宮、馬蹄石、内々神社、巌屋神社(※旧妙見神宮 奥之院)
御手洗宮:坂下小学校そばにあるガソリンスタンド近く。
日本武尊が神屋(かむや)の地で休まれた時に 手を洗った所。
綺麗な湧き水が枯れる事なく溢れていたが、周辺の開発により
湧き水が枯れてしまった。
馬蹄石:国道19号線沿いの安祥寺入口のすぐ北側。
駿河の海で水死した「建稲種命」を内々神社に祀ったあと、
タケルはその地で駒を返し 内津山の方を振り返りった。
その時に馬の蹄の跡が、 岩盤の上に付いたとされている。
この辺りの字名を「駒返」といい、西尾の地名は駒の尾が
西の方を向いたのでこう呼ぶようになったとも。
2011.12.18/(愛知)
熱田神宮、断夫山古墳、氷川姉子神社(元宮含む)
断夫山古墳:宮簀姫命はの陵墓。日本武尊が亡くなったあと、
宮簀姫命は生涯独身 を貫き通した。「夫を断つ」で「断夫」。
氷川姉子神社:草薙剣は熱田神宮に祀られる前はこの地に
留め置かれていた。氷川姉子神社には宮簀姫が暮らしていた
宅趾がある。日本武尊と宮簀姫はこの地で結ばれた。