某SNSがもうじきなくなるということでメモ。
下の写真は月夜見宮の参道。

2013.1.6/軍神社(静岡市)
※軍神社には四コマにでもなりそうな面白い物語が。
むかしむかしのお話です。 村の悪童が軍神社の『神像』を持ち出して首に縄をかけ、道に引き回して遊んでいるところを村の老人が見つけ「神像にそのような事をするとは何事か!」 と悪童らを咎め、神像を洗い清めて社に戻しました。
その夜のことです。老人が病に倒れ神懸りになったかと思うと…
「子供らと楽しく遊んでいたのに何故邪魔をしたのだ」 とうわごとを言いはじめたのです。驚いた家族が神様に謝罪をしたところ、 老人の病気はすっかり治ったということです。
2013.1.12/神田明神、柳森神社(東京)
2013.1.13/武蔵総社 大國魂神社(東京)
2013.2.10/不知森神社 八幡の藪知らず、国府神社(千葉)
2013.2.11/飯香岡八幡宮、八剱八幡神社、證誠寺(千葉)
※国府神社は松戸街道の通り沿いに鳥居がある。
見落としやすいくらいにポツンとしているので注意。
日本武尊とコウノトリのお話が残されている。
※飯香岡八幡宮のある「飯香岡」の地名は、日本武尊がこの地で
食事をした時、飯の香りを褒めた故事によりつけられた。
2013.3.9/(奈良〜大阪)
大和神社(おおやまと神社)、景行天皇陵、崇神天皇陵、
景行天皇 纒向・日代宮跡、相撲神社、大兵主神社、
景行天皇皇子日本武尊 白鳥陵(軽里大塚古墳)、
大鳥大社、仁徳天皇陵
2013.3.10/(大阪〜奈良)
住吉大社、磐船神社、矢田坐久志玉比古神社、廣瀬大社
白鳥になった日本武尊(古事記ルート)
能褒野で亡くなる→→→→→→→→→→河内の旧市邑
白鳥になった日本武尊(日本書紀ルート)
能褒野で亡くなる→→大和の琴弾原→→河内の旧市邑
※記紀では、白鳥になった日本武尊は河内の旧市邑を最後に、
どこかへ飛び去ったとあるが、記紀で語られない話では最後
大阪の大鳥神社のあたりに降り立ったとされている(由緒に、
河内国古市に飛んだ後、最後に此の地に留り坐したとある)。
2013.4.12/明治神宮
2013.4.28/静岡縣護國神社
2013.5.18/
伊勢神宮(外宮・内宮)、おかげ横丁・おはらい町、
月夜見宮、せんぐう館
2013.5.19/
伊雜宮、御師の家、伊雜宮 神宮御料田、
瀧原宮、道の駅「木つつ木館」、斎宮歴史博物館
※過去ログから、伊勢神宮で見たちょっと泣かせる話。
(某SNSで書いた日記の転載。5月の参拝で見たものについて)
http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-1310.html
※月夜見宮:外宮の北御門〜月夜見宮へ行く間の宮後町の道を
小字神路といい、通称「神路通り」と言う。昔は並木があり
中央を避けて通ったと言われ、今でも中央を歩かない風習が
残されている。家並みの不浄所の戸も道の方へは開けず、
不吉な行列もこの道を通らないとされている。
(この神路通りのアスファルト中央部は黒く色分けされている。
もっと驚くことにそう広くない道なのに、地元の車が本当に
中央を避けて走行していた。ちなみにこの辺りの子供達は
「神路通りを通行する時は真ん中を避けて歩きましょう」
という教育を受けるのだそうな)
※御師の家の詳細。伊雜宮神職直属の御師を先祖にもつ、
「森新」さんというかたがいました。
https://tyottonow.com/yamatohime-izougu/
森さん:「( ´ ∀ `) どちらから来なさった?」
SERUNA:「焼津から来ました」
森さん:「あー、静岡の。ええところですねぇ。焼津に島田…
あの辺はええところです。焼津は津波が怖いですけどね」
SERUNA:「このあたりもノンビリいい所ですね」
森さん:「歴史的な影響をあまり受けなかった所ですからね、
静かでええところでしょ」
で、海の話をキッカケに、
戦国時代に居たという水軍についての話とかもしてくれました。
森さん:「昔は熊野水軍ってのがいましてね。
まぁ水軍って言っても海賊なんですが…」
戦国の時代は色々あったらしい。
伊雜宮は、その水軍の略奪にあったとかなんとか。
※斎宮歴史博物館に展示されてた重要文化財「鳥型・羊型硯」
が可愛くてたまらない。