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2019年06月14日 (金) | 編集 |
【メモ・2013年に行った神社仏閣(2)】
某SNSがもうじきなくなるということでメモ。
下の写真は日本武尊が生まれた時に使われたという石の盥。

20190614102407ef5.jpg

2013.7.21/御穂神社、三保の松原 
2013.8.16/日岡神社、日岡陵、石の盥(兵庫) 
2013.8.17/(兵庫・和歌山)生田神社、廣田神社、加太淡嶋神社 
2013.8.18/(和歌山・奈良)
 日前神宮・國懸神宮、竈山神社、竈山墓、伊太祁曽神社、大国主神社、
 長尾神社、石園座多久虫玉神社 

※石の盥は日岡神社より南方約1.5km。
 加古川町美乃利の民家の軒先にあり。
※日岡陵/
 この御陵は、明治16年4月14日姫路総社の神主庭山武正の考証にもとづき、宮内庁において第12代景行天皇のお后稲日大郎姫陵と決定されたものである。
 稲日大郎姫(播磨風土記では印南別嬢)は、若建吉備津日子命の娘で、景行天皇がはるばる大和から妻どいされ、皇后になられた。
 その後、年を経て稲日太郎姫命は亡くなられ葬送の儀がとり行われた時、遺体を天の鳥舟に安置して、印南川(加古川)で渡御の儀式が行われた。この時、河は増水して、濁流が渦巻き、更に大風が起って天の鳥舟は、姫の遺体と共に濁流に呑まれてしまった。その後必死に遺体の行方を求めたが、遂にわからず、ただ匣(くし)と褶(ひれ)だけが見つかり、これを墓に葬ったと伝えられており、“ひれ墓”とも呼ばれている。
 なお、この御陵は古墳時代前期の前方後円墳であるが詳細は不明である。

播磨国風土記の中に描かれる稲日大郎姫について:
「この女性の容姿が端麗なことはこの世にすぐれていた」とある。
 景行天皇の后であり、日本武尊の母。

※竈山墓について。三田地区には、彦五瀬命のお供をした者の
 子孫が代々住み続け御陵を守り続けている。
※大国主神社には鎌倉時代から続く「大飯盛物祭」という神事がある。
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