我がふるさと焼津には、たとえ人物が有名だとしても、
あまり知られる事もなくひっそり存在する史跡がございまして。
『井伊直孝産湯の井』って知っていますか?
…って知るワケないですよねぇ。(^ω^ ;)

だって、道路脇にこんな風にちんまりしているだけだから、
あまり気付かれる事も無いんです。これでも整備された方で、
以前はもっとわかりにくい雰囲気でした。

井伊直孝といえば誰もが知る歴史上の有名人。
彼は焼津の地で誕生したんです。


案内板。

以下、焼津市で配布している冊子から転載しておきます。
井伊直孝産湯の井
https://www.city.yaizu.lg.jp/rekimin/iinaotakaubuyunoi.html
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井伊直孝は「徳川四天王」の一人と称えられた井伊直政の次男
です。度胸がすわっていて物事に動じず、表裏がない性格で、
少年のころ屋敷に忍び込んだ盗賊を退治した話や、徳川家康の
お墨付きをめぐる伊達政宗との調停話、招き猫の由来となった
言い伝えなど、多くの逸話が残る人物でもあります。父の直政は
「井伊の赤鬼」と恐れられ、関ヶ原の戦いなどの活躍で知られ
ますが、息子の直孝も大変勇敢で戦術に優れ、大坂夏の陣では
大きな功績を上げて「井伊の赤牛」の異名を誇りました。
直孝は家康から絶大な信頼を得て彦根城主となり、家康に続く
将軍秀忠の遺言で、三代将軍家光の後見人に指名されるなど
歴代の将軍の信任が厚く、戦場だけでなく徳川幕府の内政や外交
にも大きな力を発揮して、譜代大名の中で最大の領土を与えられ
ました。なお、遠江井伊谷の女領主として有名な井伊直虎は、
直孝と面識はありませんが義理の祖母にあたります。
また、幕末の大老で有名な直弼も直孝の子孫です。
------------------------(↓続く)

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さて、江戸幕府ナンバー2ともいわれるこの直孝ですが、
その生まれは現在の焼津市中里の地といわれ、次のような話が
伝えられています。
直孝の父直政が東海道を通った折、岡部宿本陣へ泊まりました。
そこで中里の娘が、身の回りのお世話をすることになりました。
直政は娘をたいそう気に入りました。その後、娘は男の子を
産みました。この子が後の井伊直孝で、出産の時の産湯を汲んだ
のが、中里にある井戸と伝えられています。天正18年(1590)
のことです。
また、直政の側室が正室に遠慮してこの地で産んだともいわれ、
直孝の出生については諸説ありますが、中里地区で大事にされて
きた産湯の井や若宮八幡宮、そして江戸時代から今も連綿と続く
井伊家と中里地区との関係などは無視できない事象と考えられて
います。
-------(焼津辺文化遺産ガイド 高草山周辺ルートより)


なんて事のない井戸のみが残される場所ですが、
歴史好きなかたは訪れてみては如何でしょう。
★直孝ゆかりの若宮八幡宮に続く。
→ http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-2730.html
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