定食屋さんに訪れるような感覚で見てもらえたら嬉しいです。中身は趣味のネタ色々。ヲタクなネタから神社めぐりまでw
2014年06月24日 (火) | 編集 |
検索でいきなりココに来ちゃった人は、その1から読んでね。
http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-272.html

奥宮辺りから、道がふたつに分岐します。
ひとつは『御手洗池』への道、もうひとつは『要石』への道。


20140615_鹿島神宮_008

ここは先に『要石』を見に行こうかなという事で右の方に進みます。
鹿島神宮へ参拝に来るたびに御手洗池よりも、要石の方へ行ってしまう。
要石に辿り着くまでの間は、境内の森の風景を楽しみながら歩きましょう。
ミカヅチさんちのお庭はちょっぴり広いですからねw

要石への道を真っ直ぐ進んで行くと『大鯰の碑』があります。

20140615_鹿島神宮_009

『鹿島要石真図』
http://shinku.nichibun.ac.jp/namazu/sakuhin.php?id=17
…というこの絵を元にして作られているようですね。

安政2年(1855年)10月2日の安政の大地震のあと、
江戸を中心に庶民の間で大流行したと言われている『鯰絵』。
地震を起こすと言われている鯰が、庶民の皆さんたちにボコられている物
が殆どなんですが、中にはこんな物もw(以下は要約)

・鯰を見張る役目の恵比寿(事代主)がこの日に限って鯛が大漁で大喜び。
鯛を肴に酒を飲んでベロベロになっているうちに大地震が起きた。
恵比寿は地震を起こした鯰たちを引き連れて、自らの責任で招いた事態に
ついて謝ろうと、武甕槌大神に土下座をしに行く。

・大神が神無月に出雲へ出掛け留守にしている間に、地震を起こした鯰が。
武甕槌大神の逆鱗に触れてしまい、鯰の上司が地震を起こした鯰の部下を
連れて武甕槌の元へ土下座しに行く。


…という、そんなお話。鯰絵は当時の漫画みたいな物でしょうか?
昔の人の発想はなかなか面白いですね。こんな感じで描かれる物語も様々
でございますが、いやはやネットって便利ですねー。その鯰絵を探して
みると色々な所で見る事が出来ますよ。

↓以下にリンクを貼り付けておきますね。文字クリックで表示されます。

安政江戸地震(1855年)と鯰絵

世相を表す地震鯰絵 ※東京消防庁

ドキュメント災害史『鯰絵』 ※東京消防庁

1855 安政江戸地震 地震と人びとの想像力(PDF1.42MB)※内閣府

大鯰の碑よりさらに進みますと『要石』がある場所に到着です。
「山の宮」「御座石」の別名を持つこの鹿島神宮の要石は、
鹿島の大神が降臨した御座とも、地震を起こす大鯰の頭を押さえている
鎮石とも言われています。


20140615_鹿島神宮_010

徳川光圀公が「この石が一体どこまであるのだろう」と、
要石の根本を確かめようと家来に掘らせてみたものの、七日七晩掘り続け
ても、底が見えるどころか、掘った穴が翌日の朝には元に戻ってしまって
確かめる事ができず、更には怪我人が続出した為に掘ることをあきらめた
という記述が『水戸黄門仁徳録』にあるそうです。

20140615_鹿島神宮_011

わかり辛いですが、石の中央がくぼんでいるのがわかるでしょうか。
鹿島神宮の要石は凹型で、香取神宮の要石は凸型になっています。

(´・ω・`) 「要石があるから鹿島には大きな地震が起こらない」と、
そんないわれのある石ですが、3年前に起こったあの地震では大変な事に…
というツッコミは野暮でございます。

現在では「鹿島神宮の要石の下には大ナマズがいる」
と言われていますが、それよりも前は「龍がいる」と言われていました。
えー、余談ですが…『大日本国地震之図』というものがあります。
これを見ると、地震を起こすのは鯰ではなく龍らしいですよ。
気になった人はググってみよう。(記事:©SERNA)

★その4に続く
みんなついて来れているかな。長くてゴメンね。
http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-275.html


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