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奥宮辺りから、道がふたつに分岐します。
ひとつは『御手洗池』への道、もうひとつは『要石』への道。

ここは先に『要石』を見に行こうかなという事で右の方に進みます。
鹿島神宮へ参拝に来るたびに御手洗池よりも、要石の方へ行ってしまう。
要石に辿り着くまでの間は、境内の森の風景を楽しみながら歩きましょう。
ミカヅチさんちのお庭はちょっぴり広いですからねw
要石への道を真っ直ぐ進んで行くと『大鯰の碑』があります。

『鹿島要石真図』
http://shinku.nichibun.ac.jp/namazu/sakuhin.php?id=17
…というこの絵を元にして作られているようですね。
安政2年(1855年)10月2日の安政の大地震のあと、
江戸を中心に庶民の間で大流行したと言われている『鯰絵』。
地震を起こすと言われている鯰が、庶民の皆さんたちにボコられている物
が殆どなんですが、中にはこんな物もw(以下は要約)
・鯰を見張る役目の恵比寿(事代主)がこの日に限って鯛が大漁で大喜び。
鯛を肴に酒を飲んでベロベロになっているうちに大地震が起きた。
恵比寿は地震を起こした鯰たちを引き連れて、自らの責任で招いた事態に
ついて謝ろうと、武甕槌大神に土下座をしに行く。
・大神が神無月に出雲へ出掛け留守にしている間に、地震を起こした鯰が。
武甕槌大神の逆鱗に触れてしまい、鯰の上司が地震を起こした鯰の部下を
連れて武甕槌の元へ土下座しに行く。
…という、そんなお話。鯰絵は当時の漫画みたいな物でしょうか?
昔の人の発想はなかなか面白いですね。こんな感じで描かれる物語も様々
でございますが、いやはやネットって便利ですねー。その鯰絵を探して
みると色々な所で見る事が出来ますよ。
↓以下にリンクを貼り付けておきますね。文字クリックで表示されます。
・安政江戸地震(1855年)と鯰絵
・世相を表す地震鯰絵 ※東京消防庁
・ドキュメント災害史『鯰絵』 ※東京消防庁
・1855 安政江戸地震 地震と人びとの想像力(PDF1.42MB)※内閣府
大鯰の碑よりさらに進みますと『要石』がある場所に到着です。
「山の宮」「御座石」の別名を持つこの鹿島神宮の要石は、
鹿島の大神が降臨した御座とも、地震を起こす大鯰の頭を押さえている
鎮石とも言われています。

徳川光圀公が「この石が一体どこまであるのだろう」と、
要石の根本を確かめようと家来に掘らせてみたものの、七日七晩掘り続け
ても、底が見えるどころか、掘った穴が翌日の朝には元に戻ってしまって
確かめる事ができず、更には怪我人が続出した為に掘ることをあきらめた
という記述が『水戸黄門仁徳録』にあるそうです。

わかり辛いですが、石の中央がくぼんでいるのがわかるでしょうか。
鹿島神宮の要石は凹型で、香取神宮の要石は凸型になっています。
(´・ω・`) 「要石があるから鹿島には大きな地震が起こらない」と、
そんないわれのある石ですが、3年前に起こったあの地震では大変な事に…
というツッコミは野暮でございます。
現在では「鹿島神宮の要石の下には大ナマズがいる」
と言われていますが、それよりも前は「龍がいる」と言われていました。
えー、余談ですが…『大日本国地震之図』というものがあります。
これを見ると、地震を起こすのは鯰ではなく龍らしいですよ。
気になった人はググってみよう。(記事:©SERNA)
★その4に続く
みんなついて来れているかな。長くてゴメンね。
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