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2019年07月29日 (月) | 編集 |
2019.1.25 参拝 
「水門吹上神社」にやって参りました。

20190125_minato_fukiage_001.jpg

来た時は拝殿に足場が組まれ、
社殿をお直ししている真っ最中でございました。

20190125_minato_fukiage_002.jpg

水門吹上神社
http://www.wakayama-jinjacho.or.jp/jdb/sys/user/GetWjtTbl.php?JinjyaNo=1027
水門神社御祭神/御子蛭児神(戎様)
吹上神社御祭神/大己貴神(大黒様)
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 水門神社社伝によると、昔、紀水門の海上に、夜ごとに神光
顕われ、いつしか波に従って浜辺に打ち上げられたのを見ると、
戎様の神像であったと言う。そこで、湊村字和田濱鵜島に祠を
建て、これを齋き祀っていたが、明應年間(1491-1500)に
大海嘯が起こって砂に埋没したので、住民らが今の西河岸町
字元恵美須に移し、更に大永3(1523)年6月23日、現在位置
に鎮座したものである。
 吹上神社は、昔は、吹上三本松(今の植松町の南)と言う所
に鎮座していたが、天正年間(1573-1591)、此地に合祀した
ものである。その後、しばらくは、相殿でお祀りしていたが、
後に、社殿を分け二神相並べてお祀りし、第二次大戦迄、
水門神社・吹上神社と称していたが、戦災により社殿一切が
消失し、戦後は、同床共殿によりお祀りし、水門吹上神社と
称するようになり現在にいたっている。
水門神社は蛭兒神(戎様)、吹上神社は大己貴神(大国様)が
御祭神で、2柱の福の神をお祀りする全国でも例の少ない神社
である。

------------------------(↓続く)

20190125_minato_fukiage_003.jpg

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【鎮座地】
 現在の鎮座地は、神武天皇が御東征のみぎり、御皇兄の
彦五瀬命が、和泉で長髄彦の流失に当り、出血甚だしく崩御
されたと言われる旧跡である。『古事記』に言う「男水門」
とはこの地であると伝えられ、境内には、聖跡記念碑が立って
いる。

【十日戎】
 神社は、紀州の十日戎祭発祥の社として知られ、
正月9日、10日、11日の十日戎には、福を授かるべく老若男女
が参詣し、吉兆(福笹)を求めて帰る人のおびただしい事は、
今も昔も変わりない。又、現在では、よく知られている
「のし飴」も当社が発祥の物であり、これは紀州独特の物で、
他では見られない。

【牛の舌餅投げ】
 牛の舌餅という畳1枚程ある「のし餅」は、毎年11月23日の
新嘗祭に、神饌として、御供し、祭典終了後、参詣者に、
他の奉納された餅とともに、投げ配られている。
これは何時の頃より始められたか詳らかではないが、
牛祭りに投げたものと言われている。

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…というワケで彦五瀬命が雄叫びをあげて亡くなった地は、
この地がそうだと言われているが、実は雄水門(男之水門)
と言われている場所は大阪にもある
ので、そちらの場所また
後ほど紹介するとしよう。

こちらは参集殿と、l境内社の「笠森稲荷神社」

20190125_minato_fukiage_004.jpg

20190125_minato_fukiage_005.jpg

★大阪の雄水門に関する記事はこちら。
http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-2787.html


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ジャンル:学問・文化・芸術
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